いっとき避難場所

日々是好日

よくなった?

つまり

たぶん、精神科的な問題はもう終わったのだ。

 

停滞しているのだけれど

たぶん後は本当に、現実の中で努力する以外にないからだ。

 

先生的には、よくならないということで終わったのかなあと思うけど

…それは辛いのだけれど、仕方ない

一方で本当に良くなったのか、大丈夫なのか、躁状態とかでないのか、不安があるんだけど、

そういう意味で本当に良くなってなければ(躁状態とか)、逆にきちんと来るようにということになるだろうから

ひとまずはこのまま頑張ってみようかなと思う

 

座禅はたしかにあんまり有効でない場合があって

神経症を治そうとしたらあんまり意味がないと思うけど

たんに集中力をますトレーニングだと思えば、

たぶんそれなりに意味があると思うので続けようと思う

 

とりあえずのこと

心療内科はいったん、終診になりそうだ

あまりに停滞しているということで

 

実際ものすごく停滞しているのだけれど、

停滞する以外の道が今のところ思い浮かばない

できないやれないどうにもならない中で、

ここは賽の河原かしらんと思いながら、それでも石を積み上げるよりないのである

…停滞していて一番辛いのはもしかしたらわたしではないかと実は思うし、本当に毎日死にたいくらい辛いのだけれど、わたしの辛い、というのはなかなか他人に伝わらないみたいな気もする…

第1そんなに一足飛びに何かが解決するような手段が思いつかない

もし、精神的に何かが楽になったとしても。

 

自分の得意であったことを探すようにという課題をもらっていて

3ヶ月以上それを続けたのだけれど、どうしてもそれが出てこない。

子供の頃のことを思い出すことになっているのだけれど、

読書家ですごいねといわれたとか、

IQが130超えててすごいねと言われたとか、

楽器がなんでもすぐにできるようになったとか、

思い出せばあるのだけれど、それを生かして今後の人生…  というようなものにならない

当たり前である

昔得意だとかすごいとかいわれたことが今の人生の今の時期の何にもつながっておらず、

得意だと思ってきたはずなのに、何にも生かされていない上に馬鹿としか思えないような状況で潰れているという現状、というか現実をまざまざ思い知っただけだから

 

書き出す作業を3ヶ月続けた挙句に、悲惨な感情で、もう、あれだけ紆余曲折ありながらも努力して作ってきた自分の人生は終わったのだと思った

 自分の可能性の延命のために努力を続けた結果全てが瓦解した苦しい人生だった。

得意だと思っていたことなど全くダメなことだったかもしれない。

… ということになるけれど(ちょっと可笑しいけど)

 それが大きな収穫といえば収穫で、私にとっては大きなインパクトがあったと思うのだ。

でも、上手にそれが伝わっていかない感じがした

 

(それを聞くからには、聞き手にはたぶん、まだわたしには長所があるとか、勝ち目があると思ってくださっているのだとか思う部分はあるし、おそらくは 想定された答えがあるのだけれど。

 それを聞けばよかったのだといつも思うけれど、たぶん聴いても自分を縛るだけになるかなあと考えてあえて聞かなかった)

 

と、いうのも、どれだけ褒められても結局自分はそんな風なものでありたくなんかなかった。しかも、子供の頃褒められたことは、私は他のことが神経症的におかしいから、上手であることがわかりにくかったと思うけれども、それでもたぶん、いつでもどこでも比較的には得手であり続けてきたのだ。

大学は、努力をするような人間でありたくない私と、それでも良い大学に行きたかった自分の折衷点を選び、得意なものに対してさらに努力をするということはしなかった。勇気がなかった。

仕事も、得意なものを生かして努力をしないという道を選んだ。

唯一組織で働くことが不得意であったけれど、それについては目的があったから喘ぎつつ努力した。それは自分にとって役にたったし良い経験になった。

 

 なんのことはないというか、多分わたしはずっと、得手を利用して生きてきているのだ。

 それ百パーセントではないかもしれないけれど。

 

だから、失敗したということは、

全てではないかもしれないけれど、

"これまで得意だと思っていたことがそれほど得意ではない" ことを示しているのかもしれないし、得意だと思ったことを生かしたけれど、それでは足りなかったことを示してるのかもしれない。

 

でもなによりもうそんな、得意なこと不得意なことに振り回されるような人生が嫌だと思っているのかもしれない

人生の義務として労働とかそういうものがあるからそれもいいし、それはやる。

そういうものは、自分を伸ばすこともあるし、特に不得意なものは新しい発見があるからやっても悪くないと思う。

 

でも一方で、本当はもうそんなことしたくない

得意不得意じゃなくて夢中になってやれることをしたい

 

強いていうなら"今やってること"の中で、夢中になれて多少でもスペリオールなところがわたしの得意であって

そこを他人と比べたりしないで、とにかくやり続けたら良いのだと思う

 

一方でやるべきこともやりたいわけだから

今日からまた、家計簿つけることにした。

 

 

 

瞑想

8月の7日くらいから始めている。

長くするときもあれば5分の時もあるけれど。

もともと30分に限ってみたのだけれど、30分は時間的に取れない時もあるし、腰が痛くなる時があるので、寝た姿勢でやってみたりするとちょっと細切れになってしまう。

 

昨日まで、

雑念が出たときに斬って捨てるつもりでいた(以前座禅に行ったときにそういわれたから)けれど、そういうことをすると一瞬思考停止してしまうので(解離のときみたいな感じだ)、

そのまま雑念を眺めるようにした

思考停止してしまうのはもしかしたら離人症とか解離があるわたしの特性かもしれないけれど、なんとなく不快なので、雑念は妨げないことにした。

 

そのほうがいいみたい。

 

そうすると、雑念は自然に消えていくので

音や思考はわたしを通り抜けていくということがなんとなく感じられる

それはわりと幸せな感覚だ

 

あと、慈悲の瞑想なるものもしてみた

人の幸せ…の形というのが、私みたいな人間でも実は意外とはっきりイメージできるというのが不思議だった

そうして、それに続いて二十年後くらいの自分を思い浮かべると

それはまた幸せそうにしている姿がイメージできるので、とりあえず幸せな気分になれる。

 

いちいちこの瞬間が不幸であることになんの意味もない

幸せであろうがなかろうがやるべきことをやるのが前提だけれど。

 

瞑想って意外と気持ち良いものかもしれない。

たまにやってもこんなに感じたことはなかったので、訓練として続けるものなのだと思う。

眠い

ここ数日やたらと眠い

寝ても寝ても眠くて、昼過ぎに電池が切れるように寝てしまって

夜また寝てしまう

おとといこちらに帰ってきたから、部屋の片付けとかしているのだがそれ以外の時間子供も出かけてしまったから寝ている

こんなに寝ているのは久しぶりだと言うくらい寝ている

 

そう

これまでつい

気がついたら昔の病院のブログを見てしまったりしてたのだが

仕方がないと思っていた

でももう意識的にもう見ないことにした

これはなんとなくマインドフルネスじゃないけど、もう、昔の病院のことを考えるというのは雑念以外の何者でもない

出てくるのは仕方がないけど頭の中から切り払って消していくのだ

そしたらきっと出てこなくなる

 

そうしたら何かがすごくよくなるということかどうかそんなことはわかんないけど

とにかくできることを小さいことからでもする以外にできることがない

 

何があったのか少しだけ 見えてきた気がする

大変でした。

あらゆる先輩、先生というもの

先輩や先生との関係について。

そう言う間柄に限らず、全ての人間関係においてそうだと思うけど。

 

この先輩や先生の言ってることはたまにおかしいけれど、概ねよく考えて言ってくれてるなとか、

そうはいっても乱暴すぎて聞くに耐えないとか、

それでもさすが経験に基づいてのことだなとか、

耳に痛いことを言うけれども一面では確かにそうだとか、

…一人の人に対していろんなときにそういう風に思うのはたぶん正常だ。

疑いながらも信用し、それに応じた行動が返ってくる。

 

全ての人にうまい面とまずい面がある。

自分だってそうだけど百パーセント間違いがないなんてことはない。

親としても、大人としてもそうだ。

 

それが、

先生はわたしと全く違うことを言う、何故ならわたしが間違っているからだとか、わたしが正常ではないからだとか、わたしに価値がないからだとか、そんな風に思うとしたらそれはだいぶおかしい。

挙げ句の果てに先生の言っていることはおかしいが、もう従う以外にどうにもならないという風になるとしたら、それはもう服従の状態であって、だいぶんおかしい。

 

たぶん、もっとも病識がない状態だとしても、先生がおかしいくらいに言うのが人の苦痛に応じた普通であって、

人が自分の心を守るあり様として、わたしみたいに自分を全否定になったのはおかしい。

現実に目を向ける

どうにもなんないし、もうダメだと思う。

私もうボロボロで、現実の用をなしてない。

もう一生、昔のようには生きられないだろう。

いまはまともな事ができてないし、頑張ってももうできない。

 

それでも、めちゃくちゃであるなりにできることはし続けるから、もう少ししたら、もう少しは良くなっているかもしれないけれど。

 

言葉でどんなに自分に鞭を打っても、できると信じて頑張ってみても、今できている事が今の自分の限界であることは間違いがない。

 

でも、夫が働いてくれており、2子がいる。

しかも、生きている価値がないと思って去年に比べれば、社会的な価値はないけど少なくとも生きていることについてはそこまで罪悪感があるわけでもない。

 

そんなことより、毎日私は上の空で、現実的でもない何事かに心を奪われていたり、悶々としているのだけれど、なんだかそれはいろんな意味で無意味だなあと思う。

随分と、損をしている。何にも集中できてない。

 

あったことはあったことだ。

何があったのか全く理解できていない部分が多いけれど、こんなことは所詮自分の責任で引き受けるべきことだ。

なのにいつも忘れる。なんで忘れるんだろう。引き受ける能力がないと思うからか。

 

なんか未練でもあるのかなと思うけれど、多分ないと思う。

自分が気持ち悪い以外の感情がない上にとった行動の愚かしさが余計に死んだ方がマシだという感情を煽る。

早くに終わってよかったけれど、

本当はそうではなくて、もうどうでもいいから早く終わらせてくれというんではなくて、辛いけど仕事や家庭を投げてはいけなかったのである。

何事につけそうだけど、とにかく投げちゃダメだったのだ。わたしはばかだ。

もうダメだと思った瞬間に本当にもうダメで、一回死ぬ以外にもうやり方がなかったのである。

 

 

…それはさておき、

結局のところ自分にとってすべきことというのは家事とか育児だと思う

いまはほとんど働いていないわけだし、なによりも快適な家庭環境が欲しい。

 

一年前は起きて生きているので精一杯だったから、家事ができるようになる事が感動的だった。

でも、パートをするようになって、そうしたら、そういうパートをしている自分が自分に納得できない。

反復作業が下手でうまくできないし、叱られっぱなしだ。

うまくなりたければ諦めないでクビにならない限り頑張るしかないのだけれど。

 

 

マインドフルネス?

ぽいことを続けて、そろそろ一週間になる

 

これってリラックス法というよりも、練習のようなもので修行みたいな感じだ。

その時そのときに集中して雑念を生じさせないようにする訓練、みたいなかんじ。

 

効果が出てるかはわからないけど、集中することに対する恐怖心のようなものは減ってくる気がする。