いっとき避難場所

日々是好日

興味のあること

全く違う分野の仕事にこれから就くわけなのだが

 

自分が好きな仕事は

おそらく一種の危機介入で

人の生活や心を支える仕事だったのだなとぼんやり思う

つまりこれで

最初の病院にかかった時に悩んでいた

その振り出しに戻るわけだ。

二年間迂回したが

自分が危機に陥ったという意味では素晴らしい勉強になったな。ほんとそれだよ。

まさか自分が毎日死にたいとか思う生活を送るとは。

 

そういう人たちに寄り添う仕事をしていたからかとりあえず、最悪に悲観的になるということはなかった

とりあえず生きているということでだいぶ変わってくるということを知っていただけかもしれないけど

 

救ってきたのはわたし自身でもあったのだ

ありがたいことだと思う。

 

とはいえ 同じような仕事というのは他の職場では基本的にはないのである

 

なんちゃって

 

大したことじゃない

こういうことは日々のルーティンの仕事の

ほんの一瞬だけ光ることだ

でも存在してることだけは忘れたらダメなんだけど

はたらく

一応

仕事が決まったので、働くことができるようになった

アルバイトだけど、職人みたいな仕事の、当面は見習いだし、覚えるまでに数カ月はかかると言われてるので、あんまり楽観的ではないけど

 

勉強は継続するとして

下の子が遠方の幼稚園に通っている間は、幼稚園から一時間以上かかる場所に行くのは、地理的に困難であるし

興味のある内容の仕事を勉強できて、しかもお金も多少なりとももらえるなら素晴らしいと思う

 

あとは、やはり、年齢に応じた義務を果たさずに勉強とかなんとか言っているのは所詮絵空事であるかなと自分が思う

というよりも、全部やりたいというだけの話なんだけど

 

 

原因探し

なんでこうなったかとか

なにが原因でこんなことになったのかとか

 

確かに掘り返せばきりがなく

原因など死ぬほど思いつくから、

一つ一つ掘り下げる時間が無駄である

しかも、掘り下げることそのものが余計執着を悪化させる

…というのだけれど、

カタルシスが全く無意味とも思われない

辛いことは辛いので、無理に話さずにいようというのも何か違う

話したいことは話したいで仕方がない

原因さがしとなにが違うんだろう?

 

それは自然に生ずるものであるから

出てきた時は流しておくしかなく

ただ、自然に流れてきたもの程度の認識で看過しておけばよいのではないかなと思う

ことさらそこに原因を求めるとか

さらにそこを掘り下げましょうとか

そうではなくて、フォーカスはあくまで現時点の感覚なりなんなりに置いた上で出てきたものは仕方がないということ

減衰を待つとでもいうか

そういう認識で良いと思う

 

 

腑に落ちるというのは

学習理論でもそうだけどひねもすそのことを考え続けたら腑に落ちるというものではないらしくて

関係のあるものを勉強したとか、全く関係のない事柄から突然閃いたとか

そういうことらしいから、同じ事柄に拘泥することが尚更、腑に落ちるという効果にとって役立つとは思われない

 

なので、ま、それはそれでよいとして

 

 

わたしの思考や言動が抽象的だとしたらそれはどう直したらよいのか

具体的にどう直したらよいのかという自問自答がすでに抽象的であってこまる

 

人により言葉は変えていると思う

 

日記とかメモとかこういうものは自分の頭の中での思考そのものの言葉になるけれど

そうでないものは言葉を変える

例えば去年の先生との話だと抽象的な言葉はあんまり使わなかった

言葉と、そこから想起される感情との組み合わせがどうもわたしと異なっているように思ったから、単純化していた気がする よくわからない

カウンセラーにもあんまり言わなかった 具体的にベラベラ喋った 何言っても通じない気がしていた。

夫にはどっちも使う しつこく説明するときもあるし確認するときもある

子供にもどちらも使う 上の子にはほとんど説明なく話す

 

ただ、誰との会話においても抽象的な言葉による会話の弊害は、たしかに多義的であるため誤解を招きやすいこと

誤解というならばだけど

コミュニケーションの志向から及び腰だから

 

ノンバーバルな会話の分量がわたしは多いので日常的にはそんなに困らないのだけれども

本当は具体的に表現した方がいろいろと獲得するものも多いのかもしれない

 

個人的な脳内の思考において具体的であったほうが有益だと考えるのは

いわゆる5w1hかなあと思う

ひとは振る舞いであり行動であり物理的に世界に働きかけたものが、その人であるとわたしは考える

つまりは結果である

だから、事あるごとに5w1hは具体的に考えるよう努力してみてもよいのではないかも。

 

ちなみに詩や文学について考えるときに具体的である差し迫った必要はそんなに感じない

多義的であることのメリットはやはり言葉にできないことの共感的な表出にあるのかしらと思う

 

明日やることがたくさんあるからもう寝る

 

とか。

 

具体的な思考というのは

行動とか操作できることについて考えるということかなと思う

 

早い話が、庶幾と手段だ。

どれだけ、わたしがコミュニケーションから及び腰であろうとも

行動に移し、希望と手段を具体的な言葉で表出すれば

動くものは動くだろうと思う。

Coursera と 日暮里

冬の間にもう一つくらいコートを作ってみようと思い日暮里に行く

わたしには薄手のツイードのウールを3メートル買った  880/m

娘にも赤いメルトンのコートを作ろうかなと思って1メートルだけ買う

1280/m

付随して裏地と肩パットを買う。

 

夫にもズボン…スラックスというものを作ろうかなとふと思う

200/m

 

実家の母と叔母に頼まれていたワンピースを思い出して買う

200/m

 

 おねしょシーツも買う。

 

生地は重い。

 

途中の電車でずっと、Courseraを聞いていた。

面白い。とりあえず無料のコースを受けてるんだけど、英語はこれでマスターできそうな気がしてきた。

 

 

感染性胃腸炎

下の子が珍しく吐いた

感染性胃腸炎らしい

 

わたしもなんとなくお腹の調子が悪かった。

これも珍しい

 

珍しいけど子供は朝吐いて夜には回復して熱はなし

わたしもなんとなく気持ち悪いけど揚げ物食べても大丈夫だったからまあこんなものかな

 

昼から夕方にかけて

r-1をのんで、娘は一回吐いたけどその後一回寝たらほぼ回復して夕飯は吐かなかった。

夕飯は中華粥にした。

 

夜にヨーグルトにサイリウムオリゴ糖を入れたものを多量に食べた

いつものことだけどこれが一番効くと思う

ヨーグルト、ここしばらく食べてなかったなと思う

 

インフルエンザはここ数年麻黄湯のおかげで1日で治っていて、子供は麻黄湯の適量がわからないのでうまく飲ませることができなくて、それなりにかかってるけど、わたしは倒れてない

 

漢方薬とヨーグルト(にサイリウムオリゴ糖)と寝室や洗濯物がうちの家庭療法の要だなあと思う。

 

ただ

それよりなにより、働き始めようとするときに受ける、洗礼のようなものである。 

現実的な困難

いざ

子供を預けて働こうとするとなると

上の子をどこに預けるかが問題にはなる

 

ものすごく手のかかる時期は過ぎたけどやっぱり、なにかと学校でも喧嘩っぱやかったり、集団行動が苦手だったりするので、

どこにでも預けられると言うかんじではない

というか、保育園の時は電話かかってくるのでおちおち仕事もできない感じだった

 

例えば発達障害でも、子供によっては手がかからない。自閉でも子供によっては、普通の子供よりも落ち着いていて手がかからないこともある

 

ADHD系のグレーゾーンの息子はたいへんである

知的には問題ないしコミュニケーションも問題ないらしいのだが

堪忍袋みたいなのが極端に短い

あとなにかと雑である

忘れ物はあるのかないのかわからない

遅刻は全くないしむしろ神経質である

 

大変である

 

気にしない

それしかない

 

 

とにかく

くよくよしないに尽きる

 

仕事を探す、さらに

2件目

電話かかってきたのに気がつかず

 

 ここのところ勉強したいなと言う気持ちも強くて、アルバイト…しかも未経験業というのはどうなんだろうかと少し悩むけど

 やってみたいものは全てやると決めたので並行する。

時間はmasurableでありかつ、否でもある。

負荷の調節は必要だがおそらく意識的に行うものではなく

やる気が出ない時には出ることから手をつけることでなんとかなるだろう

 

わたしは、そこまで森田教??ではないにしろ同様のことはみんな言ってる。

  例えば、ブレイク曰く、"実現しない欲望を抱えているくらいならゆりかごの赤子を殺せ"  だし。