いっとき避難場所

人間万事塞翁が馬

ヒステリーと、安心

結局、人がなぜ感じていることを感じていないことにして

周りに合わせて振る舞うかというと

そのほうが安全だからだ

自分自身をあらわにすることは危険だから、

(嫉妬を受けたり、排斥されたり、色々な目に合う)

だから、もっとも人気のある状態で、最も庇護される状態でありたい

しかし、…本当のわたしは残念ながらそう感じていない

 

そう思えば、感じていることを感じないようにした方が、よっぽどいい

理屈で折り合いをつけるわたしも嫌われるというならば

やはり離人症とか解離症しかない

 

そのほうが、安心だからだ。

故に治りにくい…。

離人症と瞑想

わたしの意識に言葉や感情の認識としては上がってこないけどちょっとした違和感や、不快感などが伝えることをキャッチして

じっと眺めていると、固まっている自分が見えてくるような気がする。

人に伝えることを諦める、諦めないの間で固まってたり、

やりたい、やらない、の間で固まっていたり。

絶望感が心を塗りつぶしていくような気がするときに圧倒されないということは結構難しい。

 

 

感情を伝えたいのか伝えたくないのか

→伝えたい、伝えるべきではない、の間で固まっている

 でも本当は伝えたいし、相手に聞きたいのだ

 

わたしは、人のイメージした自分であろうとする。わたしの自然な疑問や感情表出とかけ離れている。

ヒステリーってそういうものなのかもしれないが。

 

感情を言葉で表すタスク

先ほど気づいたみたいに、

わたしがひどく傷つくようなことを言われたとする

そのときに、その傷つきをすぐさま言語化できないにしても、傷ついたということに、さすがに気がつくこともある。

先生がああ言ったからあの時以来考えると気持ちが沈んで仕方がない、とか。

それを根強くあとから怒りとか反芻思考という形で表すのが現状なんだけど、

本来はそれをもすこし違う形で表現しないといけない

 

例えば、

医者が、わたしが福祉の仕事をするのは魚屋がピアノを弾くようなものだと言ったとする

わたしは傷ついたとする、

…なぜなら…

 

わたしは仕事が好きだったし、自分はその仕事において貢献できると考えていた

10年以上現場で働いていて、そこに自分の居場所を感じていた

職業がわたしのパーソナリティの一部であるようだった

それなのに先生は、魚屋ががピアノを弾くようだ、単純作業の仕事をしろと一言で切り捨てた

わたしはちょうど仕事を失ったところでもあったから、悲しい気持ちであるところにさらに、

自分を否定されたように感じたから

ものすごく打ちのめされて、自信を失い、

そのあと何をしたら良いのかわからなくなった

 

と、いう感じか。

 

現実的に考えて向いてる向いてないじゃないです、自分が主観的に受けたダメージをどういうふうに見積もり、消化していくか

と、いう問題。

 

大きな痛みについて、

いくつも消化していく必要がある気がする。

英語を学ぼう

mbsrのオンライン8週間プログラムを受けてみたいんだけど、

英語力に全く自信がない

大学に入ったときに強制的に受けさせられた古いTOEFLは500で、そのあと一年英語漬けだったので多少はできるようになったはずなんだけど(そんなに成績悪くなかった)

自信がない上に留学もしなかったし、その後あまりに何もやっていないから、どんどんできなくなって行った。

 

こないだハローワークの人にも英語の資格を取るように言われたのもあって、

ちょっとやろうと思う

せめてTOEICで800オーバーくらいまではなんとかして、それから考えようと思う。

 

UCサンディエゴに行きたいとしたって、お金はともかくとして大学の時に比べれば敷居が低いはずで、gpaを問われるわけじゃないだろうし、頑張れないかと思う。

 

大丈夫、できるって。

心の痛み

最近気がついたことがあって

心も痛みのようなものを感じるらしい、ということだ。

とても辛いこと… そうだなたとえば、

 

"あなたがそういう仕事(福祉)をするのは魚屋がピアニストをするようなものだ。やめたほうがいい。同じ服を着て同じことを繰り返すような仕事をしたほうがいい"

"あなたとお母さんの関係が悪かったのは、あなたが大変だったから。"

 

という言葉があったときに

わたしは、多分顔色も変えずにそうですか…って言っていて、その時はなんでもないように通り過ぎるんだけれど、

あとからもやもやとして妥当性がわからない、と言って怒っていた。

今日瞑想していて一連のことを思い出した。

 

そのとき記憶がひどい緊張を伴っていることを感じた

たとえば肉離れでひどく痛いときに周りの筋肉が緊張して硬くなるのだけれど

そういう感じだ

 

心も痛みを感じるのだなと思った

 

…人が死んだり、犬が死んだときに慟哭したことは何度もあるけれど、

傷つくと心が痛いということは、

実は気が付いていなかったのかもしれないと思う。

それでたぶん、なんか変にねじれた感じで反抗的になってしまうのだ。

離人症解離性障害?そういうものなのかもしれないなと思う。

いちいち傷ついてないフリをする。

 

わたしは私で

よくならなくても、うまくいかなくても、苦しくても、

自分の問題を精神科とかそういうところで解決しようと思うのをやめようと思う

 

そういうところに行くと、どうしても、治す人のプランに沿って努力することになるから

上手くいかないと苦しくなる

 

実際問題、人は何事につけら与えられたプランを尊重して、習った通りにやってみるべきだと思う。

でも、わたしはひとに倣うことがものすごく下手だ。

この通りやってみろというのが、教わる人によるけど頑張ってもうまくできなくて、なかなか身につかない。

だから全てはわたしに問題があるのかもしれない。

 

 

が、最初の病院だって基本的には言われた通りに療養したし、苦しいからもう嫌だと言ったら先生は激怒してたけど、結局良い結果にはならなかった

わたしのやり方が悪かったのかもしれないけど。

よくなると思わなかったけど従っていたのがよくなかったのかな。

もっと信じていたらもっとよくなったのだろうか。

 

次の病院についても、先生なりに何かの意図があるのは分かったので、言われたことを実行したけれど、どうしても意義が分からなかった

良いところとか得意なことというのは、ようは人から評価されたことだというけれど

(…いま初めて多少のことが出てくるかなあと思った。気分的に落ち込んでたときは、本当に何も出てこなかった)

 

今回について わたしは何度も先生の言う通りにやり直したけれど先生が言うような結果に結びつかない

半年ずっと自分の良いところを探し続けて、出生から今に至るライフヒストリーを書き続けたけどやっぱりそこから自分のいいところというのが思いつかないし、自然な形では出てこない

 私が考えて、想定される答えを言うことが答えなのだろうか。

 

だから少し離れたいと言ったら先生は怒ったけど(よくならないし停滞してるからしばらくこなくていいと)

ずっとこれを繰り返さないといけないのだろうか?

 

 

抽象的すぎてまるで禅問答だって怒られたけど

なんで精神療法だけなのか

精神科がもう辛くて嫌になってきた

 

思う通りにやるしかないとしたら

結局、地獄もわたしの人生だと言うことで

精神科に頼ることはもうやめるべきかな…と思う

やめてもいいのだろうか

 

もうこなくていいと言われてるんだし

いいのだと思う

 

 

肉離れの経緯

木曜日の朝に受傷、土曜日の夜、足底を床につけてそろそろなら歩けるようになった

朝はまだ足の裏をぴったりつけると激痛が走ったので

だいぶ良くなったみたい

 

痛み止めは使ってない(どのくらい痛いのかシビアに知りたい)

問題は明日の息子の運動会で、いろいろと大変

おそらく数時間立っているのはまだ不可能なので椅子を持って行こうかなと思ってるんだけど

松葉杖を持っていくのはかっこ悪い

しかし…  いろいろ考えたらあった方がいいかなと思う。