いっとき避難場所

日々是好日

子供に教えられること

 卒園式。

 

 …基本的に今日は単独行動をしていた。

根本的にわたしは単独行動なのだが、

それでは生きにくいし、誘われたり色々あると一応社交的に振る舞う。

必要があれば十年くらい継続してそういうふうに振る舞うこともできるみたい。うまくはないかもだけど。

 

…のだが、もういいやって。

 

 と、いうのも、6日ほど前に長男が、あれほど好きだった幼稚園に初めて登園拒否をした。

あと数日というところで。

初めていろんなことを話した。

"暴れてしまう自分をうまく抑えられないんだよね"、というのと、

"ぼくには幼稚園には友達なんて一人もいない、嫌われている。仲のいいこと追いかけっこしてるけど、いつもぼくばっかり追いかけている。…もしぼくが、おもちゃをあげなかったら◯◯くんは絶対に隣に座らないだろう"

というような内容の話だった。

親としては状況は理解していて、特に違和感はなかったけど、それを自分のこととして淡々と話す息子の気持ちを考えると心が痛んだ。

 "あんまり無理をさせたくないから、もし本人が明日行きたくないと言ったら休ませたい" と先生に言ったら、話し合うから連れてきて、と言われた。

 わたしは悩んだけど、もしどうしても行きたくなければ途中で帰ってきてもいいし明日休んでもいいから今朝だけは行ってみて、と息子に頼んで、登園させた。結局、そのまま休まず最後まで通ったので、それはそれでいいかな。

しかも、大人とは特に何も話すことはなかったみたいだが…。

  

 親は、難しい子供により良い保育を受けさせられないかと悩み続け孟母三遷状態だったけど、

 この子はその間、もしかしてずっと親や周りの人との距離や空気を測って無理をしてたんだろうかと、ぼんやり思った。
そんな難しいことなんて考えてないかもしれないし、わからないけど。

 

 自分も幼稚園時代、友達を"チュッチュ攻撃ー"とか言って追いかけていた記憶があったのを思い出した。みんながキャッキャ言いながら投げるのを追いかけて、楽しいように見えるんだけど、たぶんなにかの違和感がある。

なんていうか、うまく言えないけど、対等じゃない。続けていると自分がゲテモノみたいな気分がしてくる。

それで、色々無理をするようになる。

 

 ほんとうは本を読んだり、うさぎと遊ぶほうが心が落ち着くのだけれど、友達も好きだから遊びに行く。だるまさんころんだ、とか、こおり鬼とか、そういう遊びをしている間は、対等なのだ。ルールがあるから?。

それがなくなると、多少負担が出てくる。

 

…と、いうのを思い出して、

わたしも無理をしないで一人でやってみようかな、と思った。

子育てを頑張ろうとして、いろんな母と付き合ったら、いろんな人やサークルに入ったりして、子供の遊びを広げようとかしてきた。

でも、本来わたしはそんなこと好きでもないのかもしれない。

嫌いじゃないけど、変わっているので、どこにいっても変わり者扱いされるのが、やはり苦痛なのである。

 

それで、思い切って今日は話しかけられない相手には全く話さなかった。

卒業式なのに、それまで仲良くしていた母ともほとんど話さないで、たぶん突然どうしたんだろうって思われたかもしれないけど、話しかけられたり目があったらニコっとはした。

それで十分かな?。

 

だいたい、24時間わたしはいろんなことをウジウジ悩んで、考えすぎると言われるくらい考えている。晩のおかずから麹菌からエックハルトまで。

仕事をしているときは好きだったからそういうのから解放されていた(フローがあった)けど、辞めた今はもう、ずうっと悩みまくりの考えまくりだ。

 

いまはそれで、無理しないでもいいかなと思う。