いっとき避難場所

夏の白熊は冷凍庫の中に

努力は人生を変えるのか

わたしの人生に足りないものがあるとしたら、

限界まで努力することだと思う。

仕事もなにもかも、余力を残してできる範囲ですべておさめてきたし、それが当然だと思ってきた。

解離性障害?があったから、無意識のうちにストッパーがかかるというのもあったかもしれない。

 

環境が耐えられないという限界は子供の頃に経験したけど、それは主体的に努力することではない。

人間関係に耐えられないというのも、どちらかというと主体的に持ちこたえることではない。

あ、会社に13年いたのは、最後の一年を除いては絶対に続けると決めたことだったから、これは努力だった。わたしは集団行動や常識的な行動が苦手だったから、これを身につけたかったのだ。

 

 主体的な努力と、逆境の中間ぐらいで限界に直面するのは育児であって、特に下の子が生まれた直前直後くらいは大変だった。

上の子がたぶんadhdなので、とにかく大変だった。

 下の子を抱えて公園を駆けずり回っていたころ、見ていたひとから、あなたはきっと時間が経ったら今のことを覚えてないくらい大変だと思うよって言われたけど、

わたしはそもそも記憶が飛ぶひとなので、そういう程度での苦労はない。

ただ、体力的な限界も含めると(9時から18時まで走り回ってた感じ)努力したと思う。 

っていうか、初めて、そこで、限界を見据えてぎりぎりまで努力を続けると、できるようになるということを知った。

 

と、いうことは、何事につけ意識的に限界を見据えて継続しながら努力すれば、わたし自身を乗り越えることができるかもしれないってことではないかと思うのだ。

できないということは大事なことだ。諦めるということはできないことに何度も挑戦しなければ心から、真には納得できない気がする。

 

年齢的に頭がボケてきたとかいう人がいるけど、わたしは十代から解離性障害(離人症)があったので、何が年齢によるもので何が脳によるものなのかよくわかんない時がある。

 

可能性というものが減ってきて、それで評価されるような余地がなくなってきた今なら、

何度でも転びながら努力することを、自分のために行えるのではないかと思う。

わたしはいつも、可能性とかそういうことで評価されるのが怖くて嫌だったのだ。

 

生きてるうちに何かしら努力をしてみようかなと思う。できるかな。