いっとき避難場所

日々是好日

修辞困難

私は天井のLED球の数を数えた。

全部で四つある。

一つの照明器具に四つの電球が付いていて、

そのうちの対になった二つが点灯している。

 

…っていう風にいま、わたしは書いたのだけれど、これが今ひとつ、状況をきちんと書けている自信がない。

 

わたしには、言葉を組み立てて文にするということが上手にできないときがある。

職業的なペルソナをかぶって、必要なことを述べる(日誌や記録など)というのは割合と抵抗がなく書けていると思うのだが、自分の言葉で自分の気持ちや考えを述べようとすると、一気に言葉に詰まるようになる。

それで、人前で自己紹介をする時などは、えらく訥々と話すことになる。

それというのは、英作文をするときに、意味が繋がるように、できるだけ単純な知っている単語を探していく作業に似ている。

 

十代の初めごろにパニック発作離人症みたいなのを起こしたのだが、

その頃からこういうことが起こって、文章の読み書きがうまくできなくなった。

タイミング的にはある日、母に強く叱られた後だったが、いろんな意味で、ストレスの限界がその日来た、という感じだったと思う。

 そのころわたしは不登校で、昼夜逆転していて、毎晩本ばかり読んで、ずうっと日記を書いていた。

 日々、母親と激しく言い合いをする以外他人と殆ど話すこともなかった。

それで、夜になって家族が寝静まると、それこそ "理屈っぽいワタシ" 対 "我慢できないワタシ"とでも言いたいような脳内対話を日記のなかで繰り返していた。

 夜中に日記を書いている時間以外は、母親と喧嘩をするために生きているような状態だと自嘲していたのをおぼえている。

( 親はわたしのことを大事にしているというがそれを理解できなくて申し訳ない、このように反抗といわれるような受け答えしかできないわたしが生きている意味がどこにあるんだろうって。)

  日記では、母親との毎日の喧嘩についてや、自分が平凡な存在であることの悩み、哲学、言葉の意味論から神の存否から東洋蘭の植生から詩作、小説、とにかく誰とも話すことができない内容を夜から朝まで書きまくっていて、不登校であった数年間で長持ち一杯くらい、ルーズリーフに書きつけた文章がたまった。

 当時はパソコンもなかったし、ひたすら紙に書くしかなかったのである。

 

 そういう対話のなかで、自分は母との軋轢がつらく、嫌われる自分であることが耐えられない、よって、この呆けている状況(言葉を理解できなくなる)になることについて、やむを得ないし、回復まで長い時間はかかるけど必要なことだと思う、という自問自答をしたのをおぼえている。

 そのあと、文字が読めないようになって、会話もちぐはぐなものしかできないようになった。

 

 ちなみに一連の日記は、一人暮らしをして結婚してしばらくした頃に母に捨てられたので、自分がその頃どう考えていたのか知る手段はもう無いが。

 

 文字が読めないとかそういう現象に伴って失ったものはそれなりに多くて、成績が落ちたり計算ができなくなったのをはじめとして、絶対音感がなくなって、会話もぼんやりして、やりとりがスムーズにできなくなった。

 わたしは自分が若年性の認知症とか早発痴呆(ってそのころ読んだ本で書いてあってわたしの人生どうなるんだろうと恐々としていた)なんではないかとずっと悩んでいた。

 

  とはいえ、文字が読めないことで成績は落ちても、やりとりが多少あさっての返答であったとしても、普通に生きていく上ではそんなに困らない程度で、天然ボケの個性的な人くらいにしか思われないらしく、しかも、それはそれで生きやすかった。

 理屈っぽいよりは、まともな返事が返ってこないひと(今日は何時ですか、って間違えて質問してしまうような感じ)の方が、バカにされるけど生きやすいのだ。

 

その後、20歳ごろにカウンセリング(これは大学の機関でうけた)を受けた時に、そういうのは、解離症(離人症)というのだと教えてもらった。

 

 そういうわけで、十代の初め頃から、わたしは随筆をはじめ論理的な文章、国語の現代文の問題文も読めなくなって、チェスも負け続けになったわけだが、そういえば、それ以後、わたしが李賀やら泉鏡花やら、宮沢賢治やらがすきなのは、漢字でイメージが取れるからだと思う。

視覚的に意味をとる力は、文字から意味を取れなくなっても残って、漢字の形連なりから詩を理解することは割と楽だった。

 あと、いくら文字が読めないと言っても普通に日常生活を送ったり、人並みに大学を出るとか就職をするくらいは困らなかったので、私としてはこのままで良いと放置し続けていた。

 

 それがたぶん、去年のカウンセリングの場において解離の話がでたときのことだったとおもうが、過去のことを思い出したただけでパニック発作みたいな症状が再発した。

"私は解離には困っていないからこれ以上生活歴を話したくない" 云々というやりとりがあったのをおぼえている。

パニック発作が起こったとしても、昔よく起こしてたので慣れているのでやり過ごすことはできたし、しかも、当時先生を信頼してたので仮に発狂したら簀巻きにして保護室に叩き込んで貰えばいいやくらいに思うと、発作もあっという間に消えるのも面白かった。

脳って不思議だなと思った。

 

 私は本心は、解離を治したいし、でも怖いし、のアンビバレンスだったんだろうなと思う。

 

いまもこうして言葉と向き合おうとすると、吐き気がして、自分が発狂したらどうしようと思ったりするのだが、

発狂したらどうなるか、昔と違ってまあまあ知っているし、未来に対して子供の頃ほどの恐れもない。

 

どっかの古典的な論文にあったように、

 ああいうひどい転移が治療が進むことへの抵抗だとするなら、わたしはたぶん、

 ひとがものすごく怖いということをなんとかしたいと思っていて、だけどうまくできない、っていうことなのかもしれないなと思う。

 

しかも

その恐怖というのは、子供の頃のわたしには世界の終わりのように感じられたかもしれないけれど、すごく狭い世界のすごく乏しい人間関係の中で生きられないという馬鹿馬鹿しい悩みだったかもしれないのだ。

 

私の絶望感は、

今更治って何かいいことがあるのかという単純な疑問(ぼうっとして生きている方が失ったものにも気付かずに済む)から来ている気もするし、

今のところその問いに対する答えも見つからない。