いっとき避難場所

日々是好日

やりたい仕事か向いてる仕事か

十年間務めた仕事は、正直、組織という意味ではあまり向いていなかったと思う。

仕事自体はすごく好きで夢中になれたけど、

職場は至極平均的な、同調圧力の強い職場だったから、周りの人とうまくやって行くのは就職した当初は大変だった。

でも、最後の一年間に育児の都合で異動するまでは、仕事自体がすごく好きだったからか、なれて、周りの人にもまあまあ恵まれて、上司にも協力してもらってなかよくやってこられた。

しかも、十年間務めた正職員だったから、生活も割と安定していた。

変な話、異動して、その後の休職はやむを得ないとしても、わざわざ辞めるほどでもなかったと思う。

とはいえ黒い羊じゃないけど、パワハラがあった以上は、現実的な理由で辞めざるを得なかったのは納得するしかない。

 

とはいえ、辞めるときに、その時医者に言われたことがまだ気になっている。

"休職を解除して仕事に戻らなければ、こんなにすぐに辞職しなくてよかった"。と半年してからわたしが自嘲していたところ、

先生が言うには

"戻らなければやめなかったからそれでよい"

とのことだった。

そんなに辞めるべきだったの?。

と聞いたら、わたしが仕事をやめたほうがいいという理由というのはいくつかあって、

 

・育児、仕事など全部たすとわたしには負荷が高すぎる

・特性的に向いてなさすぎる

 

 ということらしかった。

じゃあ、向いている仕事はなんなのか聞いたら、

 

童話作家

②同じ服を着て同じことを繰り返すような仕事

 

と言われた。

…たしかに同調圧力の強いわりに変化の大きい仕事ではあるけれど、好きで、周りにも恵まれてるから続けてこられたし、何より生活もあったから、なんで辞めなきゃいけないのかわからない、と言ったら、

"向いてない仕事を辞めることが良いのか、それでもやりたい仕事をやることが幸せなのか、それは個人の自由だけれど、あまりに向いてなさすぎる。"

という。

仕事そのもので鬱になったことはなくて、パワハラで鬱になっただけだったから、わたしはどうしてもそれが腑に落ちなかった。

 

同じ服を着て同じことを繰り返す仕事というのが例えばライン工みたいなやつなのかなと思うと、そう言う仕事がやりたくなくて、次の仕事を探すのも嫌なのだった。

なによりわたしは好きな仕事をしたくて就職したし、それで自立して、一応評価も安定してたから異動前は特に人に迷惑をかけている訳でもなかったはずなのに、なんでわざわざ嫌いな仕事をしなきゃいけないのだろうか。

死んだほうがましとは言わないけれど、何もかもが嫌になった。

 

…そうして、最後に病院でアルバイトをするにあたっては、

結局、毎日シールを貼るとか毎日電話番とか、先生が言うように、同じ服を着てシールを貼り続けたり、書類をハサミで粉砕し続ける仕事ではあったけど、

頭がぼーっとしてくるし、切りすぎでハサミを握り壊すし、タコができて出血するし、

周りの人には患者ということで色々言われっぱなしになるし、本当に辛かった。

仕事の内容よりも、周りの人がどういう風に対応してくれるかの方が大事である。

 

わたしは医療職じゃないものが、白衣を着るのが嫌いである。

自分はそうだったけど、ワーカーが白衣を着ているのも好きではない。

しかも、昨日まで患者で、今日から電話番で白衣を着せられて、それだけでいらいらした。

わたしが前の釦をとめなかったのはわたしのわずかな反抗心であったかもしれない。

 

 

わたしは、

足がない人がアスリートになってはいけない理屈はないし、なったなら頑張って欲しいと思う。

耳の聞こえない人がピアニストになっていけないわけはないし、なりたいなら頑張って欲しいと思う。

他人が、そのひとの速さや音だけではなくて、そのひとの行った努力とか精神性から、感動したり教えられるものもあるのだと思うから。

 

わたしは、そう思うのだ。

そこは、人はよく考えるべきことだが、他人が決めることではない。

鬱は不適応の結果かもしれないが、納得してなければそこから鬱になるだけだ。

 

先生が言うことは、足のない人はアスリートになるなとか耳が聞こえない人はピアニストになるなみたいな理屈であるが、

それなら、空気を読むのが苦手だったり、共感性にかける人が人の心をあつかうべきなのか、わたしにはまったくわからない。

わたしは別にそれでもよいと思う。

しかし、他人の心がわからないというのは自分と同じように、他人について考えることが難しい、つまり、寛容になることができないということなので、大変だとは思う。

あくまでわたしの考えだけど。

 

普通、なんでも続けていれば自分に欠けているとか、できていないこととか、向いていないということはある程度わかっては来るけれど、その上で、生きるためには他人に助けてもらっていることもわかってくる。

誰もかれもがスペリオールなプロになれるわけではない。

大事なことだと思う。

 

自分に欠けているところと向き合いたいとか、自分を知りたいというのも一つの行き方で、人はお金や余暇だけで生きているわけではない。

 

とはいえ、パワハラで辞職は仕方なかったかもしれないけど。

それは、やむを得ない事件だと思う。

向き不向きとは別だ。