いっとき避難場所

日々是好日

いらないことは思い出さなくなる

思い出さんでもよいようなことは記憶の底に沈んで、

今快適な状況になるのに必要な事柄が記憶の表に浮かんでくるようになるのだと思う。

 

嫌なことは思い出さないことは、よくないことなのかなと思っていたが、

自然に取捨選択されてくることなのでそのあたりは体に任せておいてよいのだと思った。

 

 

ここのところ、やたらと賢しい息子が、幼稚園の頃に本当にめちゃくちゃであったことを思い出しつつ、

愛ってなんだろうとふと、改めて思った。

 

本質的に痛い目に合わないで欲しい、不幸になって欲しく無いと思うことだろうなとは思った。

逆に幸せであってくれれば、安心するというものだと思う。

なぜかというと、やはり大事に思う相手が不幸であったり悲しそうであったりすると、自分も同じように痛みを感じるからだと思う。

他人でないというのは、そういう感情の同一化のようなものが成立した状態をいうのだと思う。

そうして、大人は理性的にそれをコントロールして行うことが多く、つまり、自分の幸せと相手の幸せを考えて、それを元に行動を起こすと決めるのだと思う。

 子供については、動物的なものかもしれないけど、それでも選択は割と理性的なものだと思う。