いっとき避難場所

日々是好日

しんりがく

"こいするわたしはくるっている。そういうわたしはくるってない。"

 

そうだろうか? わたしにはいまだに全然わからない。

 

一年半のカウンセリング中に、

気分的にどんどん落ち込むし、陽転は解除できないし、解離性障害のようなものがどんどんひどくなるので、

自分で自分をなんとかしたいと考えて、

物理的に離れること以外にも何かないかと考え、色々読んだ。

死にたいとか適応が落ちているとか言っても、カウンセラーは基本的にそうなんですかと聞くだけだし、わたしも理由を自分からはっきりいう気力もなかなか出ないうちにどんどん進んだ。

それで、自分で自分をなんとかするしかないし、専門外だし基礎がないけど、わたしが社会福祉だからまあ面接という意味では近接分野かなと思って。

 

フロイトウィニコットフェアバーン、そのほかいろいろ、日本の、色々少しづつ読んだ。

 

ちなみにユングはもともとたくさん持ってたけど"転移の心理学"は初めて読んだ。

わたしは、ヨブへの答えと、変容の象徴がすきだ。

しかし何れにせよ、転移の場面で構造を持ち堪えるということが破綻したら、カウンセリングは困難なんだなとこれを読むと思われた。

 破綻した後にどうなるかは有名な話でしかわからず、よくなった場合もあればよくならない場合もあるらしい。

ユング自身がどうであったかはともかく、当時は試行錯誤の時代だったからある程度は仕方ないのかなとかとも考えたが。

 あと、変な話、医者に転移した話をスプリットシステムで院内のカウンセラーにするというのは感覚的にはまるで変態行為であって、無理だと思った。

最終的に、カウンセラーに、"多重関係というのは倫理的に禁止されているが自分は上司に強く言えない。なので自分から、カウンセリングは停止する旨医師に言って欲しい"と言われて、わたしが、状況が複雑すぎるという形で治療中断を申し出た(バイトになったので)けど、

個人的にあのカウンセラーは性的虐待とかそういう案件を絶対に扱うべきでないと思う。

あらゆる嫌悪感には意味があるとわたしは思うけど、そう思わない人にそんな話をしても傷つくだけだ。

 

 

 lamerenceなどよくある話である。

こんなもので動揺していたら、ホームヘルパーだってろくにできない。

 (変な話、あまりにモテない人間は対人関係の仕事をするのが大変だろうと思ったんだけど、医者は職業的にふつう、モテる人が多いだろうと思うからあしらうのは普通よりうまいだろうな。)

 

 これが破綻して何もかもが悲劇的になると考えるなら、世の中もっと多くの人が医療場面でなくてもひどい状況になっている筈だ。この場面を生き抜くことができなければ、成人する人間なんていないだろう。

 

 …ただ、自分の陽転は寝込んで、毎日死にたいと思って、現実生活が困難になっていく状態だったから、いい歳をしてなんでここまでなるのだろうとすごく悩んだ。若くもないのにウェルテルみたいに悩む。みっともないことこの上ないけど、どこか自分のことなのに他人事のようである。

 パッペンハイムの伝記本を読んでいるとなんか身につまされた。

 医療場面は、依存的になるのがある程度仕方ないことなので(わたしがかかっていた医師はカウンセリングをオペに例えたが)、深刻になるのかな。自分が十年くらい面接の仕事をしてきたのに、ここまでひどくなったのを見たことがなかったので、自分の病状や現実適応がひどすぎるのか、ほかに要因があるのか…患者の立場では見えないし、医者の言葉の意味を逐次問い返しても今ひとつはっきりしなかった。

少なくともカウンセリングを始める前より超悪化した気はしたが、仕方ないのかと一定期間は納得していた。

 

 おそらくわたしが目の前にあるものを、宙吊りにしているから疲れるのだろうとぼんやり考えたが、わたしはそれを転移という言葉以外で表すのは、自分の長く務めてきた仕事の感覚でものすごく抵抗があったしやりたくなかった。

最後の場面までは。

 

 とはいえ、歴史的にこれをちゃんと乗り越えてきた経緯やすべがあって、概ね大人は体感的に理解しているはずだ。

こんなものは医療場面だけではない。

 異性間のほのかな好意は社会のあらゆる場面で潤滑油になっているし、いい歳をして破綻するというのはよっぽどだ。

それで、この告解室みたいな、逃げられないシステムがここまで悪化する原因なのかなとか色々考えたけど理由は全然わからなかった。

 

 そうして、自分自身について考えると、転移の経緯を見ると、感情的には自分の人生でかつてあったような経緯を確かに繰り返しているような気がした!。

 わたしは、丸い感情を四角い木箱に収まるような扱いをして投げて相手によこすのだ。

 そうして、相手の反応を受け止めるのが嫌で逃げ出す。

  あそこは、カウンセリングというインヴィトロなのだと思ったから、いろいろ試行錯誤をしてみたらいいのかもしれないと思って、一人で色々考えた末に最終的に投げないで、宙吊りにして一緒に考えて欲しいということを伝えた。

 でも、おそらく伝わらない。伝わらない感じというのは伝わらない事実よりも致命的だ。

  自分に誘惑的なところがないかといえばなくはない、なくはないが症状だと考えていて、こんな実験室の中には社会性もなければ、生産性もない、およそ現実的な部分がないわけだから、自分にはまだ見えないけれどおそらくもう少し健全な発露する道があるはずだと考えていた。自分の気持ちも二重に宙吊りにしていたから疲れたのかも知れない。

それで、転移だとしても言葉にしてカウンセリングの俎上にあげることができなければこんな治療には意味がないし、わたしはそもそもカウンセリングに向いていないのだと思う。こんな惨めな状態が続いていくのはもう耐えられない。ちょうど友達から誘われているし仕事を始めようと思う、というはなしになって、それで、ああいう感じに話が流れた。

…まあ、すごく正直にいえばわたしが最後の場面で賭けに出たとも言えるし、逆にいえばそれが最後の助けてください、だったのかもしれないなとも思う。

 いずれにせよもうこんな惨めな状態は耐えられないし社会に戻りたいという分岐点ではあった。

 

 …いろんな意味で先生を責めても仕方がない。先生が何を考えていたかは最後までわからなかったし(わかってどうする)、個人的なことは一つも聞きもしなかったが(診察室で治療者のプライベートなんて聞いてなんの意味があるんだろう。一回くらい"その言葉はどういう意味"かと聞いたけどイラついてたからすごくトゲトゲしく聞いたかも)、

 物事には限界があるし、期待しても無理なものがたくさんある。

 そもそも論として、失業したり寝込んだり、子供の養育も中途半端になるような状況は全く持って未来がない。こんな状況継続してもいいことあるわけないじゃん、とわたしは思った。でも、見通しがつかないので判断に自信がないのだ。

だからある意味、こういう形で破綻して、やっと自分の気持ちの区切りはついたと思うし、直接言ったりするわけでなくても敵意とか、屈辱感とか、傷ついた気持ちを自分で認めることはできたと思う。

 

ほんとうに、ただひたすら、つよい屈辱感だけが残った。

なぜ?。

わたしが転移という言葉を使うことを諦めて、人の目の中を覗きこんだ瞬間に、関係の底が抜けたからだ、多分。

あるいは、そういう風に感じたから。

なるほどわたしが一番良くないしみっともない人間かもしれない。全て言葉にしなくても認めるべきは認めたらいいとは思う。

 

でも、その状況というのは医療云々ではなくて、いろんな意味で最低。配慮がない。(あるいはできない。)

 

これはわたしの感情だから、医者とかカウンセラーとか関係なくわたしがいずれ処理していけばいいだけのことだ。

 しかし機関ごと世の中からなくなって仕舞えばいいのにくらいは思ってはいる。

 私が無意識裡に求めたことの裏返しなのかもしれないが、直接相手に向けてはいないから自分では良しとしている。時間の経過を待つのだ。

 

しかしとにかくこの一年半になんの意味があるのか全くわからない。

わたしは仕事ができなくなり、子供の養育も虐待すれすれであって、病院も、医者には怒鳴られ、"きっと二度と会わないでしょう"とかスタッフに言われてやめることになり、世界全体に拒絶されたような気分でこの数ヶ月を過ごした。

 

 それは、わたしが"望んだこと?"  心の奥底では、もう疲れ果てて人間関係もなにも拒否して育児もしたくないし離婚して仕事も辞めて山にこもりたいとか。  でもそれでは生活できないし…、

 …、そうかもしれない。

 

 でも、それだったらなんなんだ。

 誰にも頼ることはできないし、

世の中の全ては敵だ。

 

 試験管から合法的に他の管に移すか、昇華してでていくのか、爆発して破壊して出ていくのか、わたしが決めることではないし、わたしは試験管の中の化学物質でしかないんだと思う。

 

 今は違うけど。ここは病院じゃないから。

 

 

そういえば、読んだ本…

フロイトのいくつか…自己検証しようとする部分が、ユングよりわかりやすかった。

持ち堪える、これは無理、の切り替えがユングよりはっきりしているかなと思われた。でもあんまり変わらない。

でもやっぱりこの時代はなかなかカウンセリングというものは大変だったんだろうなと思った。

 

あとは、ウィニコットの本…、まるで童話とか詩を読んでるみたいだった。

そもそもこのレベルで人の心の端緒をとらえて言語化できるのはすごいなと思った。しかも、言語化する以外にもノンバーバルな反応をかえしているんだろうなと感じた。

あとはウィニコットとの精神分析の記録、も読んだ。

あとはなんだろ、フェアバーンとか…

日本のも結構読んだ。

 

ただいずれも科学的というよりか職人的な感じで、みな試行錯誤という感じがしたが、

わたしが受けたカウンセリングはまるで、ノコギリでオペするみたいだったと思う。