いっとき避難場所

人間万事塞翁が馬

マシュー・スミス "ハイパーアクティブ ・ADHDの歴史はどう動いたか"

子供が学校に上がるにあたってちょっと読んでみたかった。

実際には今日の長時間の法事の間もずっと座れていたのでそこまでの問題はなさそうなんだけど。どちらかというと興味のないことには参加しないという感じに見えるようになってきた。

 

さて

なかなか、ヘビーな現実を感じさせられる本。

ただし、医学的な視点に関してではなく歴史的な視点から考える本

今日帰ってからさらっと読んだのであんまり深くは考えず

 

メモ→

 

 

・突出した多動の子供というのは文献上、だいぶ昔からいたが、20世紀初頭くらいに医学的には"多動"児として論文などに登場するなどして観察され始める

しかし今日ほどの問題にはされず、問題にされた場合の症状もずっと重かった

 

中枢神経刺激薬(アンフェタミン)の使用などもだいぶ以前から試みられている

 

冷戦時代、ソ連との対立から教育レベルの底上げを図ったアメリカが、いわゆる詰め込み教育とでもいうか、教室に多数の子供を詰め込んで長時間座らせ勉強させるタイプの教育により教育された子供、を養成しようとする。(科学者的な)

その際、iqは高いが見合った学業成績を上げられないこの手の多動性のある子供たちをとくに問題とみなすようになる。

それ以前であればこうしたタイプの子供たちはこうした学習に向いていないのであって、学校をドロップアウトして個々の能力に見合った仕事に就くなどで生きることができたが、社会情勢の変化、あるいは産業構造の変化により、多動でない子供と同じような教育を受けなければいけなくなった結果、特性に見合わない教育の継続をしなければならなくなり、それに伴って教育を受けさせる側も、受ける側も、困るようになる。多動児の発現率も上がり、昔ほど極端ではない"多動"な子供や、大人までもがこの疾患の保持者とみなされるようになる。

 

研究が進むにつれ多彩な問題行動(社会的虞犯的な行動とか)の原因にもなっているのではないかと考えられるようになる

 

  この多動の行動については、中枢神経刺激薬を与えることにより即効的な抑止的な効果を表すことができるため、学校教育の場からの要請、あるいは多動な子供に疲れ果てた母親、製薬会社の利益と相まって処方される量が増える

 

 しかし、向精神薬の処方が長期的にどういう影響を及ぼすかとか、あるいはその副作用に関する観点から考えると、未だに賛否両論ある状況。

 

また、多動行動を緩和するための医学的な?対策?仮説?は他にもある。

多動を神経的な障害であるとみなすより大分まえから、食物アレルギーなどによるものと考える視点があった。ほかに添加物による影響を考慮した研究で一定の成果が見られたこともある、らしい。その他にも、子供が求める環境… 等の記述があり、いろんな要素が想定されているらしい。

 

(…ところでアメリカでは、"進歩的教育"というものがあったらしいが、これにちょっと興味を持った。)

 

で、

実際にはこの手の子供たちをどのように扱っていくかは文化的にもかなりの差があり、いわゆる先進国の間でも取り扱いは違い、また診断される頻度なども違う。

多動児に中枢神経刺激薬よりもカウンセリング等を行い分析的に対応していくことを優先する国もある。

 

 …云々

 

 

いろいろ考えるが、

自分があるいは持っているのではないかと思う症状としても、子供が持っているかもしれないと悩む症状としても、

疾患を社会的な状況から切り離して考えることは難しいのだと思う

うつにしてもそうだ

 

結局、曖昧である。

切ったとか貼ったとか、息ができないとか血が出たとか、そういうのとは本質的にちがう気がする。

曖昧な結論が導き出されたと考えるしかない。

 

どういう風に生きていくか

適応とか適職というのは自分が満足してやりがいを感じているかで判断すれば良いのであって、パフォーマンスはそこから切り離すことはできない、と

十人並みの感慨を覚えるのだが。

 

 

中学の頃によんだ寅彦の随筆に"亮の記憶"だったかいうのがあって、そこにたしか神経が弱いとか神経衰弱とかいう言葉がよく使われていた気がする。漱石の本にもよく出てきた気がする。

 …それじゃなくてもあのころは、"神経衰弱"という表現が一般的に使われていたらしく、子供心に自分はそれだと思っていた。

ちなみにいまは表現自体ちがうらしくて、身体表現?ダンス?と最初、仕事で見た時、違和感があった

おそらくはそれもまた社会的な事由が何かあるのだろう。

 

調べてたら

dsm,icdと二つ診断の基準があるらしい

わたしはワーカーだったからICDはよく聞いたけど(障害とかで)… そうか。

ICDは相互的な視点から障害を定義したと習ったはずだ… 参加の障害というのは、例えば環境により障害とはならなくなる。

 

イギリスはICDを採用したと書いてある。

わたしが職場でよく見てたのはDSMなのかな。

本はあったな