いっとき避難場所

日々是好日

そんなんじゃない

鬱っぽい、久しぶりに。

 

たまに思うんだけど、

わたしでない人というのは自分のイメージというのはある程度一定しているのだろうか?。

わたしみたいに、時と場合や、会う人や気分によって、まったく違う人間みたいになるというのはあるのだろうか?。

 

 

そのなかでも、わたしは患者でありたくなかったし患者であることには疲れたのかなと思う。

今みたいに仮に病院に通わなかったとして、即座に元のような行動ができるわけではない。

 

病院に通っている限り、疲れ果てるというのを何回かやっていたし、先生の顔色を伺う状態にも疲れたのだ。

だって、犬ではないし、ペットでもないし、職員でもないし、言っていることはどんどん変わるし、他の人に言われることもどんどん変わる。患者であるが、ケアについては行われない。

要は、ぜんぶ気まぐれである。

患者だからとか、職員だからとか、全く関係ない。要は余裕なんてないのだ。

わたしはある程度仕方ないときめて、バイトするかなと思ったけど、まるで、ある程度時間が経ったらわたしは家具みたいだし、

状況が安定してきたらほぼほぼ忘れ去られているわけだ。

そのように感じた。でもしばらくは保留して決まった期間はやったからやめようとは思っていた。

 

…それ自体は仕方ないし、気が済まないと終わらないんじゃないかなというのもあった。

…もういいと言われたのが突然だったから、解離が先に来てしまって、自分の心の痛みがわからなかったので、怒りが後から来てしまったが、

とにかく、もういらないと言われて初めて、自分の損失と向き合う決心がついたのだと思う。

もとより自分が鬱になるとかそういうことは、大した問題ではない。

生きていることすらそこまで大した問題と考えているか、自分でもよくわからない。

 

先生は先生なりにわたしのなかにわたしの像を持っていたのだとは思う。

一応わたしだってやってみたのだ。

適職が童話作家って言われた(絵がかけないっていったら原作者って言われたから)ときは、子供に話を作って夜聞かせてみたりした。しかし、まったく面白くなくて1週間も続かなかった。

同じ服を着て同じことを繰り返す(これは負担が小さいという意味なのか、発達障害という意味なのか)仕事というのは、今のところまだ見つかっていない。…医療事務については、ほとんど仕事と言えるようなものもしてない(電話番だけやってればいいと言われた)のであったが、暇でぼーっとしてしまってダメだった。電話番の合間はひたすらカルテのシールを貼っていたけど、何が何だかわからないくらいぼーっとしたし、全部はりきるくるい集中してしまって、指がガサガサになった。

手動書類粉砕も、精神的に耐えられなくなって、ぼーっとして機械みたいになってしまって指が血まみれになるまでやり続けてしまい、もう嫌だと思った。

わたしがわがままなのかもしれない。

でも、そんなことをやりたくなかったのだと思う。

じゃあ何するのかと言われると、大方のわたしのやりたがったことは否定されたのもあり、足踏み状態である。

 

わたしが治療で得たものは、

 "わたしが今まで築いてきた仕事だとか、収入だとか、人間関係だとか、ささやかな矜恃とか大方のものを失った"ということだ。

それを得た。焼畑農業焼畑をした。

 

依存しないというのは

必ずしも人の視線の中に居場所を求めないということなのだと思う

ひとの視線の中に見える自分の姿に、わたしの振る舞いをなぞらえて生きることをやめることだ。

 

わたしは反射的にひとのイメージの中見えるわたしとして振舞ってしまう気がする。無意識的に。

でも、本来的にはそんなんじゃないはずなのである。

そうして、でも、そのように生きてきた日数が少なすぎて、どうしてよいのかよくわからないのである。