いっとき避難場所

人間万事塞翁が馬

人生疲れた

10年の会社勤めは確かに向いていなかった。

鬱っぽかったし、疲れるとミスも目立ったし、何より同僚が好きになれなかった。

 

でも、仕事それ自体はそこしかできないことで、やりがいを感じていたし、お金のこともあったから、最初は惨憺たるもんだったけど、色々やり方を工夫したり、人間関係も工夫したりして長く勤めてきたつもりだった。

最初から普通である人に比べれば、当初は本当に大変な人だと思われたと思うし、うまくできなかったかもしれないけれど、それなりに普通にできるようになって、周りの人にも恵まれた。だいぶ無様だったけど、頑張ったとも思う。

 

子供を見ていると、あんな風にわたしも見えるのかなあと思う時もある。

頑張ってるけど、普通ではない。

 

それが、子供が大変で保育園に預けることも難しかったから、ちゃんと働くこととかができなくなった。それは仕方ない。

 

でも、

辞め方は社会人として最悪の辞め方になったし、

医者からは

"もし復職しなかったら辞めてなかったし、復職してよかった。あまりに向いてない、魚屋が会社員になるようなものだ"

とか言われるし、

最終的に治療関係も混乱してわけわかんないことになるし、

なんかもう生きる上で手の施しようがないという風に言われているような気がする時もある。

色々頑張ったけど、疲れたなあと思う。

 

病院に行ったということ自体が依存的だったから、その時点でわたしの人生も終わってたのかなと思わないでもない。

依存的であったなら、わたしは本当に崩れるからそうならないように頑張ってきたつもりだった。

嗜癖になった時点でもう終わりかなと思ったけど、実際そうだったのだと思う。

大概の依存症がそうであるように、一回崩れたら人生を取り戻すのは困難なんだろう。

依存した自分が悪いというか、なんどか通院をやめようとしたけどやめられなかった自分の病態が重かったのでしかたない。

病院に頼ろうとした自分に問題があったのであって、それは酒に頼るとか薬に頼るとかと同じだ。

 

人に死ね死ねといって自分が少しでもよくなるのであれば、いくらでもいうけど、

わたしの生活は全くよくならないし、

失った信用とか仕事とかは元には戻らない。

なにより、頑張ってなんとか適応してきたという自分の気持ちがもう元に戻らない。

病院でさえ問題を起こすということは社会でも相当に問題を起こす可能性が高いし、

もちろん病院の人に問題がある可能性はあるけど、患者のみんながみんなそうなるわけじゃないことを考えれば、

なんとか隠して生きてきた自分の病理というのは相当なんだろうなと思う。

ていうか、もう疲れた。

 

わたしが死んでも、所詮メンタルで社会不適応だから仕方なかったくらいの扱いでもっておしまいだろうし、本当に疲れた。