いっとき避難場所

人間万事塞翁が馬

依存性の高さ

根本的に、わたしが人間関係が上手にできなかった原因は依存性の高さかもしれないなと思う。

 

安心できないから心を開けない、

信用できないから相手の意思を探りながらいろんなことをする、

人の意図を汲み取ろうとするし、人の表情や評価に過敏だから疲れ果てる

そうして鬱っぽくなる

わかってもらえないことに傷つくが、その代わりに今やるべきことに尽力できていないと思う。

 

でも、気にしすぎであると自分を説得したり、解離して見えないようにしてとりあえず毎日過ごすうちになんとかなっていく。

 

カウンセリングの場所は依存性が全開になるから、隷属してでもしがみつこうとするのだが、

今回、最後に切り捨てているのはわたしでもある。

心のどこかが異常に冷静で、どこかでこれは自分のためにならないと判断していて、切り捨てている。

今になってこれだけ怒ってはいるけれど、別にその時に、そこまで怒っていたわけではない。

 意味がない、自分のためにならないと考えたから明日で辞めますといっただけ。

 自分が感情的に苦しんでいても、死にたいとか思っていても、戻ることになんのメリットもないことがわかっているから戻さないのだ。

 傷ついたと感じた時に、相手に死ねとか、そういう風に考える経緯も必要なのだと心のどこかでそう思っている。

実際に何かするということはあまりメリットがないからやめたほうがいいとおもうけど、

 死ねとすら思えないのであれば自分が死にたくなるだけだし、ただでさえ適応が大変なところに来て、このような些細な問題で自分を責めたりするのは無駄である。

声に出して死ねといえば穏やかでないし人の恐怖を誘うわけだけどそういうこともしてない。

 

いいですか、

根本的に自分の依存性の高さをなおさなければ人生は好転することはないし、なにをしても、苦しい。それは、実際の社会において問題を起こさないなら代わりに解離に苦しむのであって、そうでなければ怒りとかそういうことで苦しむのだ。

ある程度それが自覚できたことは自分の人生にとってのキーにもなりうるし、たぶんわたしは権威的なものに今後は一線を引くだろうし、会社の人間関係もよく思ってもらおうと考えてなにをされても解離しているとかそういうことにはならない、はずだ。

 死ねというのは自分の要求がそれだけ強かったから満たされないとかに怒りを感じるわけだ。

つまりそれだけ、人から与えられることに関する要求が強いわけだ。

解離してぼんやりして、社会的な行動の範囲に収めて生きてきているだけで、

むき出しにしてみればとても社会的な許容限度内に収まるものではない。

どうするか、

これはわたし(あなたというか、わたし)の問題だ。

 

一応自分なりに問題を自覚して生きてきたが、本当に治すのであれば、

実際、巻き込まれる(かどうかはともかく)治療者に関わることは自分の人生にとってなんのメリットもない。

力不足どころか有害だし、社会的な視野が欠落して自分や家族のためにならない。

わたし一人が鬱であるくらいなら時間が解決するからしばらく休んであればいいのである。

 だから、わたしはわたしが底付きするのをひたすら待っているようなところがあるのだ。

 

 

  結局、信用もできない、依存できない相手に依存するしかないという人生の辛い側面を繰り返しても意味がないのである。

 依存できる相手というのは人生における重要な他者しかなくて、ポジションに依存した公的な関係など、利用し合えるという程度にしかならない。

 

社会不適合という視点で見れば落ち込むこともあるだろうけど、自分のことをどう考えるかはたんにものの見方だし、今回仕事を辞めた時も確かに後に続くようなカッコ良い辞め方ではないが、反撃に当たってもコンプラアンス違反は一つもしてない。仲間ではなくなったかも知れないが、犯罪とか反社会的なことは一つもしていない。

病院についてもそうだ。

 

ここに匿名で書くくらいのことはしかたないと思うけど、

それだってある程度回復してきたらフェイドアウトするべきだし、

 

 

治すには自分でなんとかするしかなく、

つまるところ、解離を治すことよりもまず、依存的な人間関係のパターンから離脱することを優先したほうが早い。

 

それまでに他人から下されている評価というのは如何ともしがたい。

しかし、自分が評価に一喜一憂していること自体は自分でなんとかできる問題である。

 

恐怖感から解離してパニックになって失敗する。

一人の時はそこまで失敗しないことも、皆の一員として作業しなければいけないとなると失敗するのだが、できる時とできない時のさが異常に激しい。

人の評価によって全然違うからだ。

 

動けないのは、依存をベースにした人間関係に、無意識的に入っていこうとする自分にためらいがあるからではないか?。

いまは動けないし、それでいいのだと思う。

 

表面的に動いても、結局くりかえしになるし、動けないということはたぶん同じことを繰り返したくないと思っているから、でもどうしたらいいかよくわかっていないから。

うまくいかない人間関係のパターン以外に自分に持ち駒がなくて、詰まっているのである。

本当は病院できちんとそういうのを学べればよかったけど、あれは無理。

人間関係から社会性を取り去ってなんとかなるわけがない。

 

…とりあえず、落ち込むこともあってしかたないけど、大丈夫なはずである。