いっとき避難場所

日々是好日

ゆりもどす

精神的にはわりと鬱ではない

日々の楽しみも復活してきたし、擦り切れたお洋服も捨てたりしてみた。

だけど、やめてしまった仕事のことを考えるとどうしてもまだ気分が落ち込む時がある。

落ち込まなくなった時もある。交互にくる。

これがなくならないとたぶん正常な職業選択は難しそう…。

 

でも、今くらい精神的に復活してきていれば、去年の11月に遡って、通院先のバイトをするしないの話になった時に、何言ってんですか、って軽く流せたかもしれないな。

 あるいはもし引き受けたとしても、周りの人に気を使いすぎることもなかっただろう。ほかに色々やることとかやりたいこともあったから、うまくいろんなことを並立できたかもしれないなとは思う。

 あのとき、もう少し良くなってたらよかった。

でも良くなってたらバイトするより先に通院やめてたかもな。

 

 …なんで通院でどんどん状態が悪くなるのかわけわかんないって言いたいけど、わかんないわけがない。

 通院をするために、状態が悪くするのが自分の利益みたいなとこがあったから状態が悪くなるのであって、そこでバイトすればさらにエスカレートして状態が悪化する以外にないのも事実だ。

バイト先の職員の人は、一般的な立場としてまっとうなことを言っていたと思う。

それ以外になんとも言いようがない。

 

やり方としてあまりに無理なんである。

 

なんて言ったらいいの

" リハビリにアルバイトとして使っていただいた" ご厚意は親身に染みるのだけれど、周りの人からの白眼視が、鬱っぽくて被害っぽいわたしには耐えられなかったし、それなりに覚悟じゃないけどある程度は打撃は受けるつもりで話を受けたけど、

わたしがうけるダメージというのはたぶん雇用主が想像できないものなんだろうなとなんとなく思った。

 含意というものを伝えるのは難しく、なんでも文字通りというか言った通りにしか伝わらないんだろうなとぼんやり考えた。

 

そうじゃないかもしれない。

でも、そうかもしれない。

 

 そういう精神というものは、それで美しいといえば美しいかなと思ったし、今もそう思ったりする。

でも、

"先生よりあなたの方がまともです"って言われた時にわたしがものすごく傷ついたということを、

 雇用主に伝わるように言葉にして説明をするのがヘビーすぎたし、最後までできなかった。

" まとも"とは何か。

 わたしがどうして怒ってるのかわかりますかって言ったら、理解できない、あなたが勝手に怒ってるんじゃないかと言われたんだけど、それは確かにそうだ。怒りはわたしの責任だ。傷ついたのもわたしの事情だ。

わたしは決めて、やることにしたから、全部わたしの責任でわたしの選択だ。

 だから怒ったのは良くはなかった。

 もう、適度な距離を考えることもできなくなって、自分が限界だから無理ってきれてしまった。

 

そもそも、" 理解する"とはどういうことか。

同じ意味で"理解する"ことを期待しているのではないけど、説明するのが辛いこともある。

なぜ説明するのが辛いのかとか直截な言葉で説明することに絶望感があったんだけどなんでだろうか。

わたしは、できることは、できたかな。

 

最終的に良くなることが一番すべきことだと考えてだいぶもがいたけど、結局は、通院中は良くなれなかった、かもしれない。

 

あらゆる意味で自暴自棄は良くない。

今に至るまで良くない。

心は暴れるけど、言葉は暴れてはいけない。

きちんと、容器をキープしておく、のが、わたしの病気というか特性かもしれないけどそれは最後に解決したらいいんだと思う。

 

 カウンセリングの終着点は納得だと言われたけど、結局は違う。

愛情は一般的にこんな形には帰着しないから、執着になってしまっている原因を言葉にするとか理性的な手段でとかすことができないんなら、 忘却もしくは、摩耗が終着点なんだろうな。

 わたし自身のために執着をとかすことは必要だ。

 摩耗がある程度落ち着いてきた時点で忘却と並行して自力で行うしかない感じ。

 そういう、文章の積み重ねだ。うまくいってるかわからないが。

 

 

今日の夕ご飯は、

ちくわの磯辺揚げ、ウドの酢味噌和え、ほうれん草のナムルと、さつまいものはちみつレモン和えにしてみた。

 

最近ちくわの磯辺揚げにはまっている。

魚の練り製品は未だに生協のものがいいかなと思うんだけど、今日はデポーで少し安く買えてラッキーだった。

簡単な料理だけど、わたしの好みにするにはコツがあって、あげた時にちくわが少しふっくらするためには高温で、衣を少し固めにするのがいいみたいだ。