いっとき避難場所

日々是好日

自己責任

いまさら だが、

意味を考えて、ある程度のダメージを予測した上で、理性的にゴーをだして受けたことが失敗したとして、それは自己責任である。

 

まともでないのが自分なのか、環境あるいは関係者なのかはともかく、

まともではないということをわかった上で行うのであれば、自己責任である。

少なくともまともではない旨を判断することはできていたし、動けない状況からの突破口が自分で見つけられない状態になっていたわけだから、そこから抜け出す一策としてであったかもしれない。

 

  結果は、自分の人生に跳ね返るものである限りなんであろうと自己責任というか、自分で引き受けるしかないものだし、とにもかくにも、ひどい鬱と引き換えではあるけれど抜け出せたわけだから良かったのだ。

 

 自分の人生について、誰かのせいでなんとかかんとかというのは、それも一つの考え方かもしれないけど、わたしは無意味だなあと思う。

 泥沼とどう向き合うかとか、どうにもならないこととどう格闘したかということが、所詮生きたということだろうし、抜け出す一つの経過として、溺れているときに、爪を立ててつかまるみたいに、人のせいにするのはしかたないとしても、そんなところに長期間拘泥してても時間の無駄だ。

 

 神経が参って気分がどうにもならないということは、なってみて初めてわかったけどフィジカルな問題らしい。これは本当にどうにもならないから、ぐたぐだ考えつつも時間の経過を待つしかない、すなわち休むしかないわけだけど、

 それが治ってなおかつ他人を責めたり過去のことを掘り返すのは生産的でもないし、あんまり意味のないことのように感じられるものだから、

…そんなことするなら筋トレしてた方がいいのだと思う。