いっとき避難場所

人間万事塞翁が馬

整理すること、語り直すこと 1

ウェイトトレーニングの反動か疲れ気味。

ここのところいろんなことが恥ずかしくて仕方ない。

しかし、言葉の形にすることができないいろんなことが重なっていて、この一年半がなんだったのかまったく整理ができていない。

 

回復とともに語り直して、わたしの中で何かに落としたいのだけれど、夫に話しても君は全部を話していないだろうと言われるし、どこに何を話すわけにもいかない。

記憶は改変されて行くものだし、もはやはっきり思い出せないことが増えて来たけど、どうしても腑に落ちない。

腑に落ちないままでいつか忘れて新しく生きるしかないわけだけど、それまでの日々において整理したいとは思う。なんの意味もない気がするけどやりたいようにやってみるしかない。

 

 

ていうか、疲れるとなんとなく気分が落ちる

何かやろうと思った気力が実効性もないし、

なんで仕事を辞めちゃったのか後悔ばかりで先に進めない。

 

やめなきゃよかった。

 

 

なんでやめたんだっけ。

 

一昨年の四月に、子供が保育園では多動すぎて無理と言われて幼稚園に転園することになった。

場所が変わるし、時間もタイトになったので仕事は続けられるか瀬戸際だったが、上司の配慮で、幼稚園の近くに異動させてもらった。

 しかし、仕事自体が全部知らないものになって、しかもそこが後から知ったけど人間関係的に悪名高い場所だった。会議は吊るし上げだし、わたしは時短であったこともあって、ほとんど無視だった。

(結果的にはわたしも、一緒に来た人も、メンタルになって数人が休職した。)

 しかも、子供は、お願いしたシッターさんにもいうことを聞かないと断られてしまったので、異動早々に、幼稚園の後、仕事が終わるまでのの預け先がなくなってしまった。

 それで、預かってくれる人を毎日探して夜までいろんなところに電話をしてなんとか会社に行く、タクシーで時間制の保育園を探して送って預かってもらう、色々試行錯誤を繰り返した。思えば夫は特に何もこの件については協力はしていなかった。

 もう無理だから会社を辞めようかと相談したら、保育園を辞めてまで幼稚園にいかせたせいで働けないなら、自分のお金で幼稚園に行かせるようにと言われた。それで、幼稚園のお金はわたしが貯金から一括で納入して、ホッとしたところでさらに辞めるか悩んで疲れていった。

 

 今は子供は割合と落ち着いて来て普通学級で大丈夫みたいだが、年中のころは本当にめちゃくちゃだったのだ。

 

それで、 一昨年の11月に、かるいうつ状態になって、パワハラも限界だし、もうやめて育児に専念するか悩んだ。でも、明らかにわたしは疲れていたから、辞める前にしばらく正常な判断力を取り戻さないとだめだと考えて、初めて心療内科にかかる決心をした。

 

1回目の受診で、待合室にあった本がわたしの好みストライクで、世の中にこんな楽しそうな病院があるのかと思った。

診断書が出て、数ヶ月休職することになった。仕事はもったいないから絶対やめちゃだめ、と先生に言われた。

 はなしてみて、わたしは先生変わってるなあと思って、しかも、たぶんギフテッドだなあと思った。病院の先生がギフテッドでも珍しくはないだろうけど、そんなには見ないから、それがわりと嬉しかった。

思い過ごしであって、 単純にわたしの(一部の)鏡であったかもしれない。

 妄想でないとしたら自分自身の印象だけだ。

 

とにかく1回目で、すかっと気持ちが切り替わって一気に楽になった。精神科ってすごいなあと思った。今思えば現実的な困難が何ひとつ解決してはおらず、療養に専念するという指示のもとに問題解決から逃げているだけだった。

 

 2回目の受診の時に、どこかから音が聞こえると先生が言うのだが、それがすごい小さい低い遠い音でわたしには全然聞こえなかった。なおも聞こえると言われるので、それをずっと聞こうと頑張っていたら、ものすごく遠くで花火を上げているような、規則正しい低い音が聞こえた。

 そうして、それがやっと聞こえた頃にはわたしはだんだん、距離感覚が麻痺してきたのを感じた。まるで催眠術にかかったみたいだなあとぼんやり思った。わたしの感覚器官が吸い込まれて行くような気分で、自他の区別が一瞬つかなくなった。

思い返せば、医師のデスクの奥の窓ガラスの向こうに、わたしが幼少の時にみたマンションの景色がばっと広がっていた気がする。

その時わたしは、悲しかったのだけれど誰にも気がついてもらえなくて、魂だけがビルの群れの中にさまよい出ていった四歳児だった。

でも、診察室に座るわたしはちゃんとした大人で、その時はひたすらぼんやりとしているだけだった。

 その時は、それまで精神科はかかったこともなかったけど、こういうふうに関係を取るやり方もあるのかな、と思った。

 

  気分的には割と楽になって、そのあとは家事をしたり幼稚園のイベントにでたり、温泉でぼうっとしたりして過ごしていた。

でも今思えば、現実が見えなくなっているだけだったのだと思う。

 

  12月あたりに、最初会社から年度明けに半日での復帰の打診があった。

 病院で尋ねると、半日なら復帰してもいいと先生の許可が出たので、会社にそう伝えた。

 

 …復職までは週一受診て言われてたのだけど、

クリスマスの後、教会行ったあとにカウンセリングに行ったときから受診にものすごいエネルギーを使うようになった。

 診察の時間は長かったり短かったりでカウンセラーはしっかり時間を区切っていたけど、医師は5分くらいの時もあれば1時間くらいの時もあって、何を話したかもうほとんど記憶になくなって来たことに今気づいたけど、学生時代の話とか(若干の共通点があって)、そんな話をちょこっときいた記憶がおぼろげながらにある。

 

それから、カウンセリングが"煙突掃除"状態になった。

 受診の時になぜか、お互い凝視状態になったので、それが原因かもしれない。

 たぶんわたしからもラポールを取ろうとした気がする。

わたしにも原因がある。

 いろいろ話した内容は、ほとんどもう忘れちゃった。当時は記録してたけどもう消してしまった。テキストではどっかに残ってるか。

 

それから、だんだん、ものすごく辛い過去のことを話さないと転移が落ち着かないというかずっとオーバーヒートな状態になった。1日の多くを医師のことを考えている状態になって、自分の頭がおかしいとしか思えず、カウンセラーに過去の話を話すとパニック発作を起こしたり、診察後に落ち着くまで散歩して数時間歩き続けたりするようになった。

解離が悪化して別人格に近いようなものが想定されてくるような感じになって、とにかく自分の現実感覚が失われて、どんどん頭がおかしくなってるなあとは思った。

 妄想障害なんじゃないかと自分のことを思い始めた。憔悴してきて、

 "希死念慮もあるしパニックになるし、もう生活歴を話すのが辛い"と伝えて、通院の頻度を下げたいといったけど、当面は週一という判断が変わらなかった。

 カウンセラーは"話したくないってあなたはおっしゃいますが、あなたが勝手に話しているんですよ?"と言って、頻度を下げてもいいといったけど、先生は週一と言って、また来週、という。薬はでてなかった。

 

 辛いからもう、昔のことを話したくない、といったら、先生からは、"話さなくてもいい。人生において大事なことは何か考えるように"と言われたが、わたしはかえってなんのことだか混乱し、家族?仕事? こんなところに大事なものなどあるのか? わけがわからなくなった。

 

 希死念慮がひどくなり、これはおかしいしカウンセリングって一体なんなんだと考えた結果、これはだめだと思った。転院するか、どうするか…。

 …一方で変な話だけど陽転は悪化して、寝たきりに近い日もあった。朝から晩まで医者が言った言葉の意味を考えている状況だ。

ある日、3月の終わりくらいだったと思うけど、予約日時を間違えてその日の通院がキャンセルになった時に、とても待てないというか、血の気が引いて、離脱症状みたいだ、と思ってそのとき初めて自分が強い依存になってるのを自覚した。  

これはだめかも、と思った。

 

それで、 医者に陽転していて、しかも依存状態になっているので、どうしたら良いか考えて欲しいとカウンセラーに言った。わたしは依存状態になっています。

 でも、これは否定しちゃいけなくて、認めないといけないものだから、と。

が、カウンセラーからは、"いいえ、依存はしても良いのですよ"と言われた。

 今ひとつ話が噛み合わなかった。 

わたしは嗜癖の意味でいってるんだけど、その意味がわかってなかったからではないかと思う。

 

その後の診察室で、医者がカルテを読み上げて、

"「病院に依存している。でも依存したくない。」…?。会社に依存して、次は病院に依存するのか。逃げるの、忘れるの"

と言われた。

実際問題、嗜癖になっており、何かから逃げようとしている。軽い解離性障害もあるから、記憶が飛んでいるときもある。

 意味がわからないと思ったけど追い詰められた気分になって、じゃあどうすれば良いのかと聞いたら、急に話題が変わって、

"躁鬱かもしれないからエビリファイを出す"

って言われて、びっくりして、これはどうしても飲まなくてはいけないのかと聞いたら、飲めないなら飲まなくてもいい、と言われて、飲んだらどんなききかただったか報告するような言われた。

 

 パワハラで休職したはずが、なんでこんなことになったんだっけ。

 パニック状態で家に帰って、医者に手紙を書いてもう受診をやめようと思った。

仕事と育児の行き詰まり、家族とのうまくいかなかった関係、陽転が悪性で依存が強いこと、それらからわたしは確かににげようとしている。

 

 育児や仕事は夫に談判して復帰後は負担を減らせるよう約束をしたし、実母には話し合いに行ったけどあんまり理解してもらえなかった。転移については、いろんな人との関わりの中で社会性を取り戻していくしかないし、自分の状態が良くなることが大事なので、もう病院の通院はやめたいという内容。

 

 その後しばらく外国に行く用事があって2週間くらいあいた。ちなみに海外にいるとカウンセリングの離脱症状も出なかった。

帰ってきて、少し気分も変わって、四月に復職にこぎつけた。

最後の受診の時に、わたしは何から逃げていて何を忘れようとしているという意味でおっしゃったんですか、と聞いたら、たしか、

"自分の負担の限界を考えないで仕事に逃げたりするとか、そういうこと…"

と言われて、たしかに負担の限界を客観的には把握していなかったなとは思ったけど、この時期を乗り越えたかったからしがみついていただけで、

仕事に逃げるという言葉の意味がわからなくて、さらに混乱した。

好きな仕事であるとか、収入とか、定職とか、それと育児とのバランスに悩むとかそういう問題ではなくて、わたしは仕事に逃げていたのだろうか?。

 

…その時に復帰はやめたほうがいいんじゃないのとも言われた。

 わたしも、こんなに不安定で、動かなかったり、毎日死にたいとか考える状況で復帰しても、たぶんこのままだと潰れるだろうなと思った。でも、会社に、今から来週の復帰辞めますとはいえないし、とにかく通院から逃れたいし、ほかの人と正常な繋がりを持ちたいのがあって、"やっぱり潰れますかね… 。…でも、潰れるならその後で考えます"と言った。

そこはどうにもこうにも自分が悪いのではある。

 

受診は終了して、また何かあったらきてください、と先生が言った。

 

 

一体何から逃げているという意味だったのだろう。

実際、嗜癖なのだから何かから逃げているのだろう。

 

育児と両立しながらの仕事の継続がわたしの力では無理だということ?。

子供のせいで仕事を辞めざるを得ないということ?

産まなきゃよかったということ?

自分に何かのdisabilityがあって、まともに働けないからいじめにあったということ?

あるいはわたしはもうバーストしていて、同じ負荷の仕事はもうできない精神になっているということ?。

能力が足らず仕事が続けられないということ?

わたしには無理であるにもかかわらず仕事をしたということ?

自分の人生に納得していないということ?

 

"あきらめる"ということから逃げていた?。