いっとき避難場所

日々是好日

立ち直ること

辛いことがあったとする

心がねじ曲がったりひねくれたり、

解離することなく、ちゃんと立ち直るためには、

やはり今支えてくれている人に感謝することが大事だと思う

 

夫にしたって、過去あれだけ酷いこと言ったじゃんとか、信じられない気持ちはあるし、お互い不信感はあるかもしれないが、

それでも、いろいろ支えてくれているのは事実だ。たぶん夫がいなければ、働くことができない今、まともな生活はできないし、子供と一緒に露頭に迷うだけだろうと思う。

 

今わたしがこの状態にあるのは夫だけのせいではない

計画通りに行かなかったということは誰にでもある。

 

潰れて鬱になるのは、被害にあったということではなくて、

単に、フィジカルというかメンタルにストレスに耐えられなかった結果なのだと思う。

被害にあったという考え方であれば、セットになるのは損害を取り戻してやるとか、復讐してやるとかになるのだろうけど、

そのやり方でストレスを払拭しようと考えれば、ストレスそのものと誰かから攻撃された、すなわち攻撃した誰かの意図を、終了するまでずっと意識しなければいけないし、第一不快だし、第二にそんなものはどうやったって確認のしようもないことで、時間と想像力が無駄だ。

 

現時点ではもはや、単純に、大きなストレスを回避することができなかったというふうに捉えるべきだと思う。

ひとにはプライドもあるし感情もあるからそんなに単純には割り切れないけれど、日常が破綻するほどのストレスは回避できなかったところに一番の改善点があると思う。

つまり わたしはそもそもバイトを断れたし、

嫌なことを言われた時にもうやめるというなり、失礼だって抗議するならできたはずだったのにしなかった。

それ以前に、たぶん、受診を続けるたびに精神状態が悪化していたのに、やめなかったし、転院もしなかった。

わたしの自己管理の問題だ。

子供のことは仕方ないかな。いろんなひとに聞いたし、いろんな手段を試したけれど、時間しか解決しなかったかもしれない。

 

何事につけ、うまくいかない理由を、特性とか、大きなストレスとか、そういう自分ではどうしようもないことに紐づけて、諦めることに一体何の意味があるのだろうか。

 

もし、わたしが特性に問題があるのであって、それでもやりたいことがあるなら、自分の欠点をどうしたら補えるかを考えるべきだ。

仮に後1日でも人生があるのだとすれば一体、わたしは○○だからこれができない、だから自分を説得して諦める、ということにエネルギーを使うより、ならどうしたら良いのか、を考える方が良いと思う。

例えば、わたしの中では、特性がこうだから、諦めて希望ではない仕事をするとかそういうことにはどう考えてもならない。

 

イアン・ソープが言っているように、自分の特性や体調が抱えている困難そのものよりも、

自分がそうであると(どこまで信じているかわからないけど)宣言された病気や、周囲の人からの扱いによって自信を失って傷つくのだ。

 

自分がうまくできないことを工夫するということは、それまでの人生でいくらでも行ってきたし、それでもうまくいかなくて諦めたこともあるかもしれない。

でも、それはラベリングによるものでもなく、いろいろやり切った末時間的に諦めたというだけだ。

 

今回仕事を辞めたのも、パワハラとか育児の負担とか、そういうことがあったからであって、わたし以外の人なら必ず疲れないなんてことは言えないと思う。

 

繊維街でセールがあったので、こないだ行ったばっかりだったけどまたいった。

洋裁好きのディズニーランドである。混雑ぶりもまさにそう。

 

帰路、通っていた病院の近くを通り過ぎざるを得ず、その時強い不安がどうしても拭えない。

首都圏に住んでいる以上通らないという選択はなく、特にわたしは東京で生まれて、今まで離れたことがないわけだ。

又会ったら殴り飛ばしてやるくらいの勢いでなんとか通りすぎるんだけど、どうにも不安と、恐怖感みたいなのがあるかも。

 

鬱、もあったけど、PTSD?トラウマ?になってるぽい。

 

だけど、いずれにせよ同じだ。

 

傷のない人生なんてあるものかと思う。

ひどい鬱だけなんとか回復させれば、あとはいくらでも人生に起こることだ。