いっとき避難場所

日々是好日

鬱にならない生き方

…たぶん、そんなものはない。

 

足のサイズに合わない靴を履いて走ればこけて怪我をするかもしれないし、

毎日塩ばっかり食べれば腎臓に負担がかかるかもしれない

毎日疲れることばかりすれば鬱になるかもしれない

 

体のメンテナンスをするように精神的にメンテナンスをする必要はあるかも。

 

わたしは、心に疲れがあって、それがフィジカルに出るなんてことは、子供を産むまでわからなかった。子供は疲れると明らかに機嫌が悪くなるしメンタルがめちゃくちゃになるので、ストレスや体の疲れが心に出るのだということがよく見える。

 

しかも、わたしは、自分が鬱になるまで、鬱がここまでフィジカルなものとは思わなかった。

気分というのはフィジカルなもので、論理的に操作できるものとはとても言えない、と思った。

ただ、自分で自分の療養方針を立てることはできるし、立てたものを守ることもできる。

…という程度でわたしはストレス源から離脱したからこの程度で済んだのかもしれない。

 

 

骨折したとして

骨折した足で病院に行ったり、テーブルまで歩いたりしなければならないのは間違いない

 

折れている心で、日々過ごすということは、朝は起きられないとか、他人に当たり散らしたりしながら、良くなっていこうとすることだ。足はかばいやすいけど心は見えない分かばいにくい。

良くなろうとすることは自然な働きなのだと思う。

鬱病であることが有利なのは鬱であることで休めるからで、鬱であることで死にかけるとか動けないとか、これはあんまり有利とは思えない。

わたしは少なくとも、かなり必死に脱出しようとしていたと思う。

 

原因がどうこうというより、現実がつらくて大変だったのだ。