子供の頃
非常につかれたという経験がいつのことか思い起こすと、
五年生の頃だった。
今初めてわかった。
疲れていたという感じは、その時も今も同じだったのに、わたしは自覚するのがいつも遅くて、限界になってふり切れて初めて自覚する。
あなたはいつも切り捨てる、んじゃなくて、切り捨てるというより振り切れるまで嫌なことに気がつかなかったのだ。
朝から晩まで母と喧嘩をして、学校に行った。
つまり、敬語を強制されることとか、いろんなことが嫌だった。母はあなたは反抗期なのよ!、ってわたしに言い返していた。
学校では友達がいて賑やかにやっていたけど、
アイドルの話をすることとか女の子グループの中にいることがだんだん疲れて嫌になってきたのだ。
その前年、四年生まで、わたしは、毎日制服がなくなったり荷物をトイレに捨てられたり、机が昇降口に放り出されて、なんとか菌といわれて無視される、いじめを受けていた。四年生の終わりに好きな人ができて、なぜか突然頑張って、体育がクラス1位になったりお友達がたくさんできたりしたのだが、引き換えに言葉遣いがみんなと同じように乱暴になって(○○だよ、とか。それまであそばせ言葉だったから学校で浮きまくっていた)、服も祖母が作ったものが嫌だと言うようになった。
当時は、塾に週3日プラス日曜の四谷大塚、
週1回のピアノ、隔週の作曲コース、
週3回プールに行ってたのが、
まず最初に疲れてプールをやめた(母には肩に肉がつくから嫌だと言った)。
それから塾をやめた。
最後にピアノをやめた。でもこれは個人レッスンだけは続けた、三年間。
最後に学校に行けなくなった。
最初は朝起きられなくなった。
"疲れた!"
っていったのはおぼえてるな。みんな疲れても行くのよって母はいっていた。
母がラケットでバシバシ叩いて、学校に行けと言った。
でも最後は本当に行かなくなって昼過ぎまで起きることができなくなって、
小学校をやめたいといった。お友達も話が合わないし、先生も言っていることが変だもの。
母は、わたしの話もろくに聞かなくて、六年生の三学期に私立の小学校をやめさせて、公立に転校させた。
そうして、わたしは高校中退するまでろくに学校に行かなくなった。
どうして学校に行けなくなったのかわからない、とわたしはみんなに言ったし、母もみんなに言ってたな。
この子は他の子供のことをバカにしてるからよ、とか、先生が良くなかったのよ、とか。
わたしは、"疲れた"っていう感じが自覚できなくなっていたのだ。
わたしは多分
疲れ果てていたのである。
疲れていることを横に置いて、親の話を聞いたり、本を読んだりしていた。
疲れるという感じは、こういう、いやーな感じなのだ。
謎が一つ解けた気がする。