いっとき避難場所

日々是好日

"主訴は何か"

…思うに、うつ病だから治療して欲しいのではないし、躁だから治療して欲しいわけではない。

況や、発達障害を治すために治療して欲しいのかと言われればそうじゃない

 

治療するのは、いま苦痛があるから、なんとかしたいと、あるいはなんとかして欲しいと思うわけだ。

希望があって、うまく行かない現実がある場合に、それを叶える手段として医療なり、福祉なりを利用するんだと思う。

診断名をつけて欲しいから行くわけでは当然ない。

病名がつくことで生きやすくなるとか、幸せになるとか、そういう風になるための一つの手段として病院に行くのだ。

街中で暴れる人が暴れて幸せだとかならまだ、強制的に云々も理解できるけど、

大概、その前に苦痛がある時も多いわけだ。

 

 

鬱とか躁とかが問題ではなくて、

それでも希望や欲望があるなら、

どうするのか、考える。

 

それが上がって来なければ、

自分の中から根っこの生えた希望を掘り出すことが大事だと思う。

 

これから、エベレストに登ろうとすることも、

無一文のうつ病のわたしが公園の木に登ろうとすることも、

本質的な相似形なのだ。

 

雑草なのか薔薇なのかの違いであって

価値は相対的なもの。

 

とりあえず、今回病院に行かなかったことが良かったか悪かったか、わたしにはよくわかんないけど、

まあいいか、と思う。