いっとき避難場所

夏の白熊は冷凍庫の中に

苦痛を感じる

苦痛を感じるということは大事だ。

 

筋トレは非常に苦痛だし、水泳も動けなくなる

 

昔ピアノの練習をよくやっていたころは、

動かなくなるところまで指を追い込んでそのポイントを超えると急に楽になる

同じようなのが水泳にもあるみたい

自覚しているから集中できる

 

苦痛を感じる練習が必要だ

たぶん苦痛を感じるから、次回その失敗を回避できるということがあるのに

わたしは解離してしまって苦痛を感じないから同じ失敗を繰り返すんである

 

それが困る

わたしがぼんやりしているのがどうしても困る引き換えにもう一度鬱になれと言われたら、それでも構わないくらい困る。

できないことには苦痛を覚えて、笑われたなら屈辱を感じて、否定されたら敵意を感じて、阻害されたら傷つけば良いのだ。

それができない

できなくなった地点に何度でも戻ってそれ以外の選択肢はなかったのか考えないといけないのにそれすらぼんやりしてしまって追い込めない

 

病院のことはたぶん、もうどうでもいい

たぶん大したことではなかった

 

大事なことはそれよりももっと前

わたしが最初に動けなくなってそのあと、解離という選択を取った時のことだ

 

鮮烈な苦痛は鮮烈な回避衝動で攻撃衝動だ

全く構わないし潰れて鬱なんて何度やったって構わないのに

大事なことは時間だ

 

鬱が辛いかどうかも所詮は本人の主観如何で

パニック発作だってそうだ。

 

 鬱になることがそのほかの選択より有利だったとか 

あるいは疲れそのものとか

 

問題は解離のほうで

考えてみれば記憶が飛んでいるというか反射的に蓋を閉めてしまうのである、

思い出そうとしている

わたしは子供の頃、数時間くらい人の話を聞いてあとからほとんど思い出せたんだけど、そういう記憶すらまったくかけらも出てこない

子供の頃の記憶が断片的にしかない。

 

子供のころの友達にあんなことあってあんなこと言ったよねとか言われることがあるけど

わたしは全然記憶がないのだ。

 

解離以外の選択肢がなかったのか。

 

たしかに世の中には避けようのないことがあるんだけど

苦しみは苦しんでいればいつか苦しみに相応する楽しみも現れる

 

うさぎが好きで、うさぎの生態をよく勉強してたんだけど

苦しいということは、適応するための感情だけど、うさぎは捕食される動物なので牙にかかる前に意識を失う。これは解離なのだそうだ。

解離するのは苦痛を避けるための、よりらくに死ぬための準備だというけれど、

わたしは違うんじゃないかしらと思う。

それでは傷もないのに、覚悟して解離したうさぎは全部食べられてしまうんだろうか。

そんなうさぎが子孫繁栄するだろうか。

 

たぶん、解離するのは、

同じように苦しいなら、苦痛を感じない方が動けるからだ。

その代わりに苦痛がないのに、傷を受け続けるから出血は止まらないし、気付いた時は動けなくなっているかもしれない。

 

…うさぎはずっと解離してるわけじゃなくてその一瞬なのだが。