いっとき避難場所

日々是好日

じゃあ、どうしたらよかったのか

私も、昔からすごく不安の強い子供だったとは思う。

幼稚園の頃から死んだらどうしようと考えて眠れなくなったし、意味もなく悲しくなって涙が出てくることがあって、同じ頃一人でドアの後ろで泣いていた。

息子が多動なので自分もそうだったかと思ったけれど、わたしは幼少の時は落ち着いていたらしい。

少なくとも、まったく違うと母はいう。ちょろちょろしてはいたけれど、こんなんではなかった、と言ってた。

でもどうかな、わたし、たまに幼稚園でみんなでお話をする時間に園長室にずっといて、園長先生とお話をしていた記憶がある。

園長先生が好きだった。

 

…わたしも多分育てにくい子供だったのだろうと思う

過敏だったし、割と意思がはっきりしていたんじゃないかな

 

じゃあ反抗しないで生きてられたのかなと思うけど

多分無理

 

わたしは周りの人大人には全部敬語で対応するよう言われたけど、そんな子供が周りにいなかったので、どこに行っても浮いた。

小学校の四年でいじめられて、五年生になった時にそういう言葉遣いをやめていささか乱暴な今風の言葉遣いにした。母が乱暴だというので、何が悪いんだと文句を言ったけれど、それは周りの人が品が悪いのだと言われた。

ちゃんとした人は一人だけでもちゃんとした言葉遣いで通すんです。

…今考えても反抗しないというのは無理だと思う…。ママ友だってタメ語だ。弟はそんなに厳しく言われてなかったので、母に聞いたら、男の子は良いのだと言っていた。

 

洋服を選べなかった。

祖母が洋裁をする人だったので、祖母が作った服しか着せてもらえなくて、これも周りの人と全然違ったので、小学生くらいになると、持ち物や服がダサいと言って笑われたので嫌だった。普通の服を買って欲しいと言ったけれど、母が言うには、手作りの服で育てられるのは幸せで、羨ましがる人も沢山いる。あなたはあなたで良いのだ、という。

でもわたしはいじめにあっていて、他の人から無視されたり、物を捨てられたりしていたので、みんなと一人だけ違うというのがいやだった。

なおもいうと、おばあちゃまに言いつけるわよと言われた。

わたしの目の前で、この子はおばあちゃまの服がダサいから着たくないというのよ、というのでおばあちゃまは悲しそうな顔をしていた。

それでわたしは、買って欲しいというのはやめて、おばあちゃまにファッション雑誌を持って行って、こんな服を作ってください、というようにしたんだけれど、技術も時代の変化によるものだから、どうしてもすり合わせがうまくいかなくて、ずっと辛かった。

でも、おばあちゃまが服を作ってくださったということは、わたしが服を作るようになった、という意味では身になったらしい。

大検を取った後に服飾学校に行こうと思っていたのだけれど、それは母に反対されてやめた。一応大学を出て欲しいという。高校を中退した女が一応大学を出なさいも微妙だけど。

祖母からも言って欲しいと母がいって、祖母がすごく悩みながら、服飾学校は今いかなくても大丈夫、これからは服飾ではないほうがいいかもしれないから、というので、わたしもやめて普通の大学に行った。でも就職してから、夜間で服飾学校は一応出た。

たぶんおばあちゃまは、わたしが服飾学校に行きたいと言った時に、きっと嬉しかったと思う。

洋裁も最初は大変で、やろうとしてうまくいかなくて、嫌になっているところに、あなたはどうせ完成させないで放り出すんでしょとか、布買ったって作らないんでしょとか言われ続けて嫌になって、最初は本当に作れなかったのが、祖母に手伝ってもらって作れるようになって、だんだんいろんなものが当たり前のように出来上がるようになった。

 

…でも、たぶんこれも、今子供の頃に戻ったとしても反抗したと思う。

 

それからピアノをやめたいというので毎日のように喧嘩になっていた。

作曲コースが面白くないし疲れたからやめたいと言ったのだけれど、絶対将来後悔するから続けなさい、と言われた。ピアノは好きだったから個人レッスンだけは細々とやったけれど、結局やめた。やめるやめないで散々喧嘩をした。

中学3年ですったもんだの末、個人レッスンもやめたけれど、全然後悔していない。 

 

弟ばかりずるい、というのもあった。

弟は私立で服も沢山買ってもらっているのに、わたしは服も買ってもらえないし、いつもあなたにお金をかけるのはもったいないばかり言われている。

…って言ったけど、あなたは習い事も学校もすぐ嫌だと言ってやめるし、それに、女の子だから、と言われて喧嘩になった。

なんでも女だから、に落とし込まれるのがいやだった。

女だから手伝いなさい、女だから言葉遣いに気をつけなさい、女だから…、だ。

 

と、いうか、なんでも反対されたから、反抗しないというのはないんじゃないかなと思う。

 

生理の話もほとんどなかったし、母が閉経した後だったからトイレに生理用品を捨てる場所もなかったから、ゴミの日に自室からこそこそ捨てに行った。いまだに生理の話は母は受け付けないらしくて、それどころか陣痛がひどくて歩けない時にもっとちゃんと歩きなさい(母は計画出産で帝王切開だったから)と言われて、

何も言えなくて無力感があったな…。

 

思い出すとどれもくだらないことだな。

でも、 

周りの人に家のことを相談するな(家の恥だから)とか、

全く話を聞いてもらえないとか

成績をオールaでとってきても褒めてもらえないとか、

いじめにあっていると言っても、家族のだれにも取り合ってもらえないとか、

家に帰っても鍵がいつも閉めてあって入れないとか、

それも小さなストレスだったのだと思う。

 

それにしても

目の前のことに集中できないのはなんなんだろうなと思う。

 

洋裁とか小説の読書とか一人でやるものは概ね大丈夫だし、受け手のことを想像できるときは忘れ物もあんまりない

 

緊張してしまったり、混乱するとだめになる。

大学の時も、すごく好きな授業のときはレポートが個人的なものだったから集中してかけたけど、そうでない時には人ごとみたいになってしまって全然だめだった。

いつでも、題意に沿って書けば良いはずなのに、相手の印象に恐怖を覚えたり、題意がわからなくなったりすると、パニックになって、解離してぼんやりしてしまう。

昔はそんなことなかったんだけど

 

わたしはだめなんだとか思ったり、

本題からずれたとんちんかんな内容のレポートを書いてしまったりするのだ。

 

目の前のことに集中するのが難しいのを治せないもんだろうかと思う。

 

そうだなあ…

自分の中の不快感を無視しないでちゃんと見つめる。

できない、わたしは居場所がないかもしれない、ホームレスになるしかない。

…という気持ちがあるならそれをちゃんと見つめる。そのうえで、

"こわい、辛い、わたしには無理だ。

 …でも、向き合ってみたらそんなに怖くなかった"

というのを、とりあえず100回やってみたらどうかなと思う。