いっとき避難場所

夏の白熊は冷凍庫の中に

流れる現実

記憶を消したり

新しいことを考えたり

新鮮な刺激に触れたり

そのようにして、人生の時間は続いていく。

止まったように見えて生きている限り、相互反応は終わらない。

 

これまで割合と止まっていた時間の中に生きていた気がするけど

時間が止まった時のことを思い出して

あるべき場所に置き直すことで

実はじりじりと時間が流れ出していたことがわかる

押しとどめることはできないのだ。

 

そうするとまるで、止まっていた間の私の人生が、逆にぼんやりとしてしまうような気がする。

 

"わたし"ではないものを想定して、それになりきって生きてきたとしても、

それはそれなりに失敗し、周りの人に影響され、それなりに成長してきた時間の経過なのだ。

止まったように感じる時間を、人生の一つのストーリーとして語り直すと、

"わたし"ではないものとして生きてきた時間が、主観としては全部無駄だったような気がするのだ。

記憶は消えたりしていない。

でも、主観として、薄れてしまうような気がするのだ。それもまた、悲しい。

 

 

 

そういえば、最初エビリファイを提案されたときにわたしは、躁鬱じゃなくて違う病気を疑われてるのかなあと思った

カウンセリングを始めてから、自分も、自分自身が、そうなんじゃないかと、何か妄想性障害とかそういうもんなんじゃないかと悩んでいた

 

どっちにしても精神病なんだけど。