いっとき避難場所

日々是好日

焼ける地面

とある、不快感から逃げ出して、病院に来たとする。

と、いうか暑いなあ、不快だなあ、くらいで最初は、まさか地獄にいたとは思わなかったのだけど、言われてみたら、周りを見たらわたしはどうも地獄の中を火傷をしながら生き抜いて来たようなのである(地獄だのなんだの程度問題というものもあるけど、人それぞれ耐えられる程度というのは違うので比較は避けざるえない)。

長い間、心頭滅却すれば火もまた涼しで、わたしはここが燃えているということを忘れていたのだ。

 

 ほらお前のいるところは、地獄じゃなかったのか、思い出せ、そしてそれが大した地獄じゃなかったことを再体験して恐怖をなくせ。

それから逃げるな、ここは息うところではない。

そして自力でそこから抜け出せ、という風に最初に医者が言ったような気がしたのだ。

それでわたしはなんという修行なんだろうとずっと思っていた。

 

わたしはなんとか地獄に飛び込んで、そこから抜けようとするけれど、ここがどこであるかわかってしまった以上、恐ろしくて抜け出ることができない。

過去のことを話すと、つらくて仕方がなくなった。転移というか嗜癖が悪化して、一つ一つ言葉にして解決をすると楽になった。

解決しないとパニックになるので、どうしたら解決できるのかを考えては一つ一つ試みていった。

弟の死について思い出すとか。母に産まなきゃよかったと言われたとか、パニック発作になったことは一回話した。

 

…だが、実質的なカウンセリングは、会社に復職する前に行き詰まっていた。

最後はパニック発作のあと、記憶が飛ぶ状態になって、どうしたらこれが治るのかが全くわからなくなった。

わたしはいろいろ考えた末に、母に話に行った。

話しながらわたしは号泣していた。

"わたしは、もっとわたしの話に寄り添って欲しかった、感じたことや考えたことを、同じように感じて欲しかったの。ちゃんと抱きしめて欲しいの。ずっと辛かったの。"

それで、母はハグしてはくれたのだけれど、言っていることは全然わからない、といった。

"人が自分の感情を表に出すか出さないかはその人次第だから"

という風に母に言われて、わたしはいい年をして、またしても、スパッとドアを目の前で閉められた感じがした。ハグしてもらっても全然ダメだった。

 

それを、医者とかカウンセラーに語るわたしは、またしても淡々としていて、自分の感情を全部飛ばしてしまっていた。

病院で自分の過去を話すわたしというのは、いつでも淡々としていて感情が混ざらなかった。

弟が死んだ時のこと、祖母が死んだ時のこと、

辛ければ辛いだけわたしはひとごとのように話してしまい、それもカウンセラーに指摘されて、"安心していないから"と話した。

気持ちが悪い状態だった。

たぶん淡々と話す裏側でわたしはおそらく再体験していて、その度に傷を受けていたのではないかと思う。思い出すたびに悲しくてつらくてたまらなかったのだ。

でも、自分がどう感じているのかがわかっていなかった。

 

 

半年くらいして、どうして私と母の間がこうなったのかなあと医者にぼんやり話していたら、医者は、"あなたが大変だったからお母さんが大変だったのだ"と、言った。

そっかー。しかたなかったんだな。

とその時は思ったけど、今思えばわたしはまた、その時壺の奥に押し込められたような気持ちになって、ずっと酸欠のままだった。

 

…例えば、バナナを踏んで大変なトラウマを受けた人がいても、その人が主観的に激しい苦痛を受けてるならそれは、ケアの対象なのだと思う。わたしはバナナを踏んでも大丈夫だからあなたも大丈夫に違いないというのは、ない。

 

仮にわたしが育てにくかったのがそうだとして、ああいう風に育てていいというものではない。

わたしの子供も大変だとみんなに言われたけど、ああいう風に育ててはいけないと思って、それもあって精神科に行った、というのもある。

 子供に傷を与えるようなことを、繰り返したくなかったのである。だからわたしを治す方が早いと思った。

いろんな機関に助けを求めて、幼稚園、保育園、習い事、ママ友、病院、いろんなところに相談に行った。いざという時に子供が頼れるようにだ。

 

…なんだけど、気がついたら、結局動けなくなっていた。

わたしはもしかしたらこのまま一生動けないかもしれないなあと思う。

 

心の傷は目に見えないけど、身体の数と同じように開いたりいじったりするとダメージをうけたり痛みを覚えたりするものなのだと思う。

少なくとも気がつかない間にエネルギーを消費するみたいだ。

わたしは自分がどうしてこんなに動けなくなっていたのかわからなくて、カウンセリングは停滞していたので、いつまでこれが続くのかと医者に聞いたら、医者は"納得するまで"だと答えた。

それがなんなのか、わたしはわからなくちゃいけないのだと思う。

他者が、わたしのために何かやっている、助け合いだからというが、

わたしは明らかに傷ついていて助かっていない、という場合があるかなと思う。

信頼したいし、続けることで良くなると信じたいが、状況は明らかに悪くなっている。

しかし、信頼したい気持ちはあるし、ここから離れればそこは地獄なので、つらくて離れられない、つまり依存している。

 

感情に直面できない自分が悪いのである。

自分の感情が自分でわかっていない自分に問題があるのだけれど、それができるならそもそも病院なんてこない。

 

まあそれはさておいて、

じゃあ、人は信ずるにたるものなのか。

 

…社会においては、それを判断する基準がたくさんある。友達、子供、約束したこととか、日々のbehaviorとか。

 

 

たぶん、キモはそこなんだろう。

 

ひどい目にあった。手酷いダメージをうけた。 

 

しかし、未だに信じて良いのか、あるいは信じたい気持ちもあり、起こった出来事がなんであったのかがわからない。

わたしが悪いからこうなったのか。いや、先方が邪悪であったり、ミスをしたり、うまくやろうと思ってたけどうまくできなかったのか。

真意はなんであったのか。

わたしはあなたを信じていてよろしいのか

 

…ずっと問うけれど、経験的にそれが答えにならないことはよーくわかっている。

いま誠実にしてくれる人こそが誠実な人である。

それが明日変わるかもしれないし、そんなのはわからないけど、

少なくとも愛ではないし、まともな治療ともいえない。

 

じゃあ、わざわざそんな、他人を破壊するような事を何が楽しゅうてやるのであろうか。

 

つまり、それもまた、思慮の外なのである。

 

たぶん自分のことしか考えてないんだろうなとか、サディストなんだろうなとか、変態なんだろうなとか、共依存なんだろうなとか

いろいろと、解釈はできるけど、

たぶん、理解できない。

 

そういうこと。