いっとき避難場所

人間万事塞翁が馬

言葉にできないということ

診察室というのは

基本的に暴れているとか倒れているとかでなければ、人や家族が言葉で症状を言って、それに対応してもらう場所なのだと思った。

 

病院はともかく、

福祉場面でも、面接というものは、

言葉でどうこういっていても、その時の表情がどうであるかとか、なんとなく嫌な雰囲気だとか、この人は基本ハイハイいっているけどほんとは納得してないなとか

いろんなニュアンスを総合して、本当の主訴がなんなのか考えながら進めていくので、

言語的なメッセージとか単純なニュアンスしか読み取れないとなると、トラブルが頻発する。

そう言ったじゃないか!とか、

なんで言わなかったんだ!

っていっても、誰のためにもなってないからだ。

言葉の中にも自分で気がつかない矛盾があり、論理的にも抑圧してる自分にはわからなくても、他人には見える

たぶんだから、見つけてもらいにいくのだ。

 

考えてみれば、そういう風に言葉の面から人の真意や本当の望みを確認していくのが

本来の治療的な面接なのかなと思う

 

…すごく学んだ

つまり、嫌なのにお礼を言ってたり、傷ついてるのにニコニコしたり、信用できない感じがするし、自分でも嫌なのだけれど、

表現できない病というのが結構頻繁にあって、他人の表情はうかがえても自分は自分の表情は見えないのだ。

 

たとえばそれが、昔風に

父さんとセックスしたいだけなんだろうとか

欲求不満の表現であるとか言われると

あれこれ悩ましいかもしれないけれど

とにもかくにも、自覚して

表現できるということは大事だ。

 

どうしたらもっとうまくできるようになるのかな、