いっとき避難場所

人間万事塞翁が馬

怒るのは当然であり

いじめにあい、誰にも守ってもらえず、

家庭でも疎外されているとして、

怒るのは当然だと思う。

 

学年が上がって、キャラを変えることで普通に振舞って友達ができたことはよく頑張ったと思う。

初めて "…だよ" と言ったときの違和感はいまだに覚えている。

それまでは"ですよね"とか"…なのよね?"としかわたしは話さなかったからだ。綺麗な言葉遣いを使いなさいと常々言われていたから。

 

それまで、おそらく友達は、わたしのことが気持ち悪くて怖かったのだ。

 

敬語で喋って、自分はみんなと違うと思っていて、しかも持ってるものが普通に売っているようなものではない、戦前の遺物のようなものだったし、いつも成人用の文庫本を抱えて、大人とばかり話していた。

自分が子供だという意識が希薄で大人の顔色ばかり伺っていた。

成績もすごく良かったけど、たぶんそういうのもうまく噛み合わなかったのだと思う。

そういう子供が子供のクラスにもしいたら、多少は引くと思う。近寄りがたい。

それはわたしが悪いわけではない。

遊んだり普通に子供らしい逸脱を行わなかったというのがそういう結果を招いた可能性はあるけど、10歳にも満たないこどもは解決策を本人ではなく周りに考えてもらっても良かったはずだし、わたしに全くの非があるというわけではない、と親になったわたしは考える。

 

むしろ、その状況から脱しようとして、みんなと同じように振舞って、その結果友達もたくさんできたのであるから、わたしはかなり頑張ってきたのではないか。

本当のわたしというのは敬語で喋り大人におもねるわたしではなくて、友達にいじめらると悲しくて、一緒に遊びたかった自分なのではなかろうか。

 

じゃあどうしていつもそんなに、人といる時に落ち込んだのだろうか?。

それはたぶん、友達といる時も言いたいことを言わないで我慢しないといけないと思っていたこととか、嫌なことを言われても傷つく自分に気がつかないで無理していたこととか、そういう、日常的なつまづきが疲れに変わって、

だけどそういうことは親には理解されるわけもなかったから、さらに否定されて自信をなくすということだったんじゃなかろうか。

いじめにあって、そのあと明るく振る舞うけど多少無理をしてしまうというのは、仕方がない。こわいから、当面はそうなる。

でももはやそういうもんでもないということを、わたしは大概わかっている。

 

あと、今ならいじめにあった理由というのもわたしなりにわかる。

(しかも、いじめた人というのは、後からわかったことだが家庭崩壊中で、自分も中学校でひどいいじめにあったそうだ)

 

自分が本当の自分だと思うこととか、親から最初に教わった自分のイメージが… 子供の友達がいなくても大人はあなたの言葉遣いとか上品さとかの良さをわかるから大丈夫という…、まだ残っているからなのかなと思う。

 

 

他人を責めるために思い出すのではなくて、

きちんと自覚するために思い出すのである。