いっとき避難場所

日々是好日

古風なる"全生"

神経症的に生きることは損失だろうなと思う

 

結局、人生の一時期でとある苦痛にどうしても対処することができず、直視して乗り越えることができなかったということで、

その方法が解離なのか抑圧なのか、方法はともかくとして自分の人生に、いきた血の通っていない部分ができる。

そこが壊死してしまえばもう性格ということになるのかもしれないけれど、落とした腕も夢では痛むらしいし、ちゃんと血の通ったように見える人が周りにいる以上は、自分の一部が生きていないことに苦しむのだろうと思う。

 

しかし、引き換えに得たものの社会的な価値が、それに見合うか、あるいはそれを上回るようなものである場合もあるだろう。

それで良しとして死ぬ場合もあるだろう

 

 

それでも一部の人は、

たぶん、その部分が疼き続ける

引き換えに得たものをかなぐり捨ててでも、血を通わせる、ということを選択する

 

 

野口整体的にいうと、全生、とでもいうんだろう。