いっとき避難場所

日々是好日

地に足

息子がサマーキャンプなので、娘と一日デートしていた

博物館、デジタルミュージアムをはしごして夫と合流して外食して帰ってきた

 

博物館がすごく面白かった

 

解離がだいぶ治っているからだと思うけど、好奇心みたいなものが結構湧いてくる

硫黄の結晶の黄色が大変鮮やかなのに驚いて、コウモリの骨格の非常に繊細であるのに感動した

 

そんなふうに面白いと感じたのは初めてだった気がする。

…結局わたしは12歳から家を出る19歳までほぼ引きこもっていたのだが、

思春期に、パニック発作を起こして、解離性障害を発症してこのかた、この二十五年間ほぼ無駄にしてたんだなあと思った

 

ずっと混乱していた。

何がやりたいとか何が嫌だとかじゃなくて、普通のふりをして生きるのが精一杯だった。

助けを求めたり、繕えない場面では次々に見捨てられたけど、そうやって傷つくことは当然だと思っていた。

 

わたしは、普通のふりを受け入れてもらえる人が必要だったのであって、本当のわたし自身を理解したり、受け入れる人を求めていたわけではなかったのだと思う。

見たままに、あなたは普通だと言ってもらって、"それならそこにいても良い"と言って欲しかったのかもしれない。

 

とにもかくにも、強いて言うならずっと混乱していた

何か怒られたり、褒められたりしてもそれは、全て"本当のわたし"に関する事柄ではなかった。

振る舞いについて怒られているのはわかったが、自分でもなんでできていないのか、人に怒られるようなことをしたのか、あるいは褒められたら面白がられるようなことをしたのか、それがいつもわたしにもよくわからなかった。

だから本心から守ってくれた人を敬愛したことはなかったし、それが他人から見てもわかるから恩知らずみたいに言われたり、慇懃無礼だと言われたり、しかしそれも、振る舞いの問題でしかなく、他人事としか思えず大変だった。

 

 

鬱?かなにかわからないけど、今回動けなくなったけどちゃんと生きていられてよかった。

よかったし、違う世界に生き直したような気持ちも少しするのだけれど、わたしのこの25年が虚しいのと、失業したり健康を害した上で、気づいたらもうアラフォーであったことが、なんとなく絶望的である。

違う理由でもう死んでしまいたいと思うくらいだ。

とはいえ、解離してたので25年間見るからに発狂したり鬱で動けなくなったりはしてなかったし、気づいたら家族も子供もいて、

多少まずい母親であるし失業しているし思い通りに生きてはいなかった部分があったかもしれないが生き物としては辻褄はあっている

 

無理やりポジティブに考える必要はない

生きたいのか死にたいのかよく考えればいいし、疲れたとか死にたいとか言っても、そんなに簡単に決断できるもんでもないなと思う。

 

なおればよいというものでもない、場合はある。