いっとき避難場所

日々是好日

牧牛

まだ先が長い

 

長いのだが

長いことに絶望するということは牛の引き綱をより長くするに等しい

 

十牛図を見ていると

到達点は世に出て行く

 

そうだよな

 

神経症であるとか発達障害であるとか

そういうことがどうこうというより

おそらくはどの時代にも不安と恐怖はつきず

寄る辺なさに竦む人はいたのだ。

こういうことは現代独自のストレスによると考えるよりも(それなら中世独自のストレスとか想像したい人がいるだろうか。そりゃいるだろうけどぞっとしない。)

 

煩悩という言葉はもはやピンとこないので

違う言葉に変わる

恐らくは精神疾患(のうちの、抑うつ神経症とかそういう類)の社会的に位置するところが

現在とは異なっていたんだろうなと思う

お坊さんとか宗教者がうさんくさいとか言われるのは

人が悩んだり精神を病むことが胡散臭いと思われること(病として排除されること)とたぶん同義なのであろうと思う。

最近また方丈記の続きを読んでいるが(一時期あまりの文句だらけなのが嫌になってしまって楽しくないから読まなかった)

こういうのは、いわゆる神経症なんでないかと思うんだけど、すごく一般的な話なわけだ。

 

西洋はそれでも神様というものがあるので

話を聞く方も話す方も後ろ盾があっていいんじゃないかと思うけど

この国は大変そうだなと思う

とはいえ、楽しいのではないかと思わないでもない 

いつの日か天井天下唯我独尊とか鼻歌交じりに言えれば、それは楽しい。

そしてすでにそうであるらしい。

 

それで良いのだ。