いっとき避難場所

日々是好日

依存のしくみ

…頭がおかしかったなと思い返す

 

通院しているときは自分の病気のことばかり考えて

自分はこんなにひどい目にあってきたのに他人がなにもわたしのケアもせず、

排斥しようとばかり考えていたのだと思った

 

他人がわたしのケアをする必要なんてどこにもないのである。

 

心療内科はわたしの話を聞いてくれて

わたしがパニック発作を起こすところまで聞きだしてくれた

そこから先、わたしが恐怖について見据えなければいけなかったのに

わたしはそれに気がつかず(見過ごして)

それを全部治療者に転嫁してしまった

わたしの恐怖を全部擦り付けて現実逃避した

見据えれば一瞬のことだったのだ

 

…弟は事故で死んだのでわたしは同じ状況が怖くて、例えば水に入れなかった。

医師は、"死なないから!"とわたしにいって、それでわたしは魔法のように風呂に入れるようになった。

パニック発作が再発した時、発狂するかもしれないと思ったが、先生に入院させてもらえばいいだけだと思ったら発作が消えた。

 

 

…でもそれは、ちがうのだと今は思う。

水の中で死ぬ可能性は常にあるのだ。

それで水に入るのを一生避けて生きるわけにはいかない。

怖いけど入るべき時には気をつけて入れば良い。

パニック発作は入院させて貰えばいいというものではない。

根本的に、わたしがここにいてはいけない、排斥されるという恐怖があったのだと思う

精神的に家族から排斥されたとしても、わたしは物質的に何不自由なく育ってきたわけで

今更それをどうこういうものでもないけれど、

確かに辛かったし、家族との関係というものは取り戻せるものではないが、

今わたしがきちんと生活できていればそれで良いのである。

それでも恐怖から逃れることは不可能である。当たり前だ。

でも大事なことは、結果的にはきちんといきてこられたということだ。

 

カウンセリングは自由連想だったから、

解離していた期間が長かったからか、思い出す時の苦痛はひどく、

そのうえ何もかも思い出すと苦痛がなくなってその代わりに、ひどい恋愛性転移がでたけれど、それはちがうのである。

 

現実とはこのように苦しいものなのであって

それ故に、じりじりと働けば良いだけなのである。

 

その前も離人症だったし、ひどい神経症でもあったから、変人で信頼の置ける人間でもなく、社会でお世話になった人に対してどれだけ不義理をしたことだろうかと思う。

自分は他人となにかが違うのだと思っていた。

確かにひとは皆同じではないけれど

みんな同じように苦痛を感じたり屈辱を感じたり傷ついたりするのである。

それが受け入れられなかったのである。

 

結局、

わたしはたんに

その苦痛を見据えることができなかったのだ。

その代わりに依存したのであるけれど

…仕組みとしては至ってシンプルなものだったのだと思う。

逃げる代わりに見据えれば良いのである。

 

 

…苦痛をたしなめ。

 

正規で働いているよりも

なんの収入の得られる仕事のできるわけでなくても

よい、仕事をすることはできる。

 

階段を降りる、

ドアを開ける、

感覚から目をそらさずその時に感じたことを知覚して、ありたいように足を運び、自分のとりたい姿勢をとるのである。

その小さい全てをないがしろにしないこと。