いっとき避難場所

日々是好日

思想の矛盾

…こないだ

現実を受け入れて諦めることを思想の矛盾の解消であるというようにきいた気がしたのだが

 

…行った場所は素晴らしくよかった。

わたしは、行ってよかったとすごく思ったのだ。

思ったのだけれど、それはちょっと解せなかった。

 

 

たぶん、森田正馬のいう思想の矛盾というのは言語と事実が一体化していないことなのだと思う

 

高い欲望も低い欲望も

全ての欲望や義務で、気が散りながらも、

なんとか日常をこなしていくことが必要だ

それは、"できる範囲で"しかできないが、

できる範囲でやってればたぶん心を病むことにはならない。

できる範囲ではないものをやろうとする、あるいはやれるはずだと理屈をこねくり回してしまうところに問題が発生して

それは"理屈をこねくり回す"ところに病理がある。山を登り続ければそれは行動であって問題がないけど、山に登れるはずだと理屈をこねくり回して登れもしない登りもしない山にいつまでたっても足をかけないのが病気なのだ。

 

さらにいえば、やれないのは何かの理由だとやろうとしないで引きこもることも同じである。

 

やろうとすればできるとか制限するとかではなくて

やれていることが真理であって

元来今いる場所がそれができない場所であるわけがないのだから

やれるやれないで悩むのではなくて目の前のことに邁進すべき

なのだと思う。

 

そうすればできることできないことは自然に分別されて、道はひらけてくるはずである。

山に登れるのぼれないでいつまでたっても足をかけないものに誰が仕事をふるだろうか。

仕事を振られることもないものが

どうやって仕事をするのか、というのと同じことだと思う。

 

鈴木大拙も好きだけど、

森田正馬の本を読んでよかったと思うのは

この本が、いわゆる神経質をある種の人々の普遍的なものと捉えて、これに関する昔からの英知を精神科から地続きにしたことだと思う。

煩悩は病院にあって寺の手の届かないところにある

 

わたしはばかだから

自分が病気だと言われたり言われなかったりで混乱して

病気だとするならどのようにしたら治るのかとか

医者がこう言ったからこういう風に制限して生きていかなければいけないのかとか

皆どういう風に生きていくのだろうかと考えていたが

 

まず足元の生活を見ることが必要だったのだ

 考えちゃうのは仕方ないしフラッシュバックだとかなんだとかいうが、なんだって仕方ない。

心も天気と同じだから起こることは起こる。

でも、山にはきちんとのぼる。

 登りたい気持ちが発露することを妨げる理由がない

 

それを一瞬にして理解させる、本だと思う。