いっとき避難場所

日々是好日

そういうことがありました

落とし所について

 

少なくとも 現時点では何度考えても

一年前まで通院していた通院先の医師がわたしにとってのプロフェッショナルな医師(操作する人)と考えることには無理がある

 

他の医師にかかったらその人に転移するかというと

まったくもってそれはないらしい

転院したら前の先生と比較するという人がいると聞いたが皆無だ。

なぜなら今後出会う医者は医者だから、例の先生と称する人ではない。

 

…つまり先生はおそらくユニークである。

これから先もきっとそうなんだろうと思う。

そういうふうに仮定しておく。

そうして、仕方ないからそれは受け入れる。

 

故に、他の精神科にかかることをわたしが怖がる必要はないのだと思う。

 

問題は

そういう人に出会ったとして、わたしが混乱したのはなんでかということだ

 

これは答えが出ない可能性がある

と、いうか、怖くて言葉にできないのかな

 

ただ、わたしの扱われ方を考えると

転移というものはそういうものなのだろうと思う。

わたしの扱われ方は、またわたしの転移(繰り返し)であり、病的に傷つくことの繰り返しだと思うのだが、これについては何一つ言語化されないまま繰り返しが完了した、気がする。

 

でも、わたしがアルバイトを引き受けた、くらいが一個だけ峠をこえたところであって、

それには割と意味があるかもしれない。

ただ、その後のわたしは、保護者に出来るだけ役に立つことをしたいとか快適にあって欲しいと願うひとりの人間でしかなかったし、それって月並みで普通のことだと思う。

その裏で大変な目にあっているから助けてほしいと言えたらよかった。

言えなかったのが一つ問題だったかなとは思う。多分それだ。

助けて欲しい、気づいて欲しかったのに何も言えなくて、自分が潰れるまで何もできなかった。

とは言えあの状況的に、言ったら何か変わるのだろうか?。

 

 

…だいたいだな、転移だとかなんだとかいうけど

ぶっちゃけ、

洋の東西を問わずこういうことなんだと思う。

 

"あなたは本当は◯◯なのに、大事な人に、いつも、こんな行動をしてしまってるんだよね。

あなたが本当にしたいことは◯◯だよね。それを、あなたの周りの本当の関係の中ですれば良いんだよ。"

 

そうして、精神科のみならず

ゲゲゲの鬼太郎だって、六道りんねだって、普通の上司だって、誰だって同じことをやっている。

密室の中で体をはって、八つ当たりを受け止めるかどうかの問題なのであって、

娑婆であっても非行少年の悪さを懲らしめに来る人は同じ立場に立っている。

 

たいがいのひとは、"あなたがやりたいこと"はなんなのかを考えないで、"あなたにやって欲しいこと"を言いつのる。

 わたしだってそうだ。

親は子供にとって前者であるべきなんだろうなと思う、というのは、ネイティブに、絶対的に後者だからだ。

援助者はそういう意味で、良い親の象徴のようなものなんだろう。

やれることに限界があるという視点にたてば、そんなの援助者も親も程度の差はあれ同じなのである。

そして、子供は自ずから、よく育ちたいと思っているのだと思う。

 

本当にしたいことというのは行動レベルの話だ。

だから、言語から行動レベルに落として実行することに意味があるわけだ。

 と、いうか、早い。

 

違うだろうか。