いっとき避難場所

日々是好日

急ぎ過ぎない

病院について

去年までかかっていたところはほぼ、生まれて初めての精神科のつもりだったが、

よく考えたら12歳の頃、不登校になったので、父母の母校の附属病院の精神科に連れていかれていろんな検査を受けたことがあったのだった。

 

そこは臨床心理士というのはたぶんテストをするのに携わっただけの人で、csj?と、ロールシャッハクレペリンをうけたのは覚えている。

医者と話すときには、後ろに10人くらいの白衣の男女が控えていて、とても圧倒された記憶がある。

それもあって(治療に関して自分も拒否的だった)なんだかもう治療に通おうという気持ちにはならなかった。

最後に医者が、"僕のことは友達だと思って良い、何か困ったらいつでも来て"

と言ってたのは覚えている。

 

 東京は遠過ぎたし、医者の名前も知らないし、数年後の13-4歳くらいに起きたパニック発作が、医療の対象とも知らなかった。

わたしが自分の症状がパニック発作だと知ったのは、自分が仕事をするようになって、パニック障害のお客さんを持ってからである。

誰かが助けてくれるとは到底思っていなかった。

 

 

…で、今のわたしは、幸いにパニック発作にも離人症にも悩まされていない。

去年までの通院は納得できないことも多くて辛かったし、通院中にはこれらの症状は治らなかったけど、少なくとも今はそれらは治った。

代償はそれなりにあったけれど、治った。

問題は治った後、半径10メートルの安全以外には何も残っていないことだろうか。

 

ちなみに、もしかしたら、離人感のようなものは、もしかしたらこれから先、わたしが耐えられないようなひどいストレスに苛まれたりしたらまた、起きるかもしれない。

でも、根本的には同じことにはならんだろうと思う。

 

 

翻って一体、病院にわたしは何を望んだのか?

 

病院のカウンセラーには残念だけどわたしは本音を全く伝えることができなかった。

医者に伝えることができたかというとおそらくそれも難しかったんだろうとは思うけど

 …人に気持ちを伝えることができない、助けを求めていることを伝えることができないということが病気の本質なんだろうかとも思う。

 

わたしは、安全な距離感と、継続可能な関係を求めていたのかなと思わないではない。

 

 これまでは、愛する人がいるのであれば、それが母であれ、昔の恋人であれ、助けを求めた結果として、関係が崩壊した。

 いじめとか、虐待とか、ハラスメントというのは、加害者に力があるから被害を訴えることや、被害があると伝えること自体ができなくなる。

子供に対して暴言を吐く母親がいたとして(私もある意味その一人であろうけれど)、"お母様はあなたのことを思ってそのようにおっしゃるのだから、あなたはそのように反抗してはいけません"ということになるだろうし、いじめも、あなたに何か悪いところがあったからそうなったのではないか、と言われて本人が反省することになる。

 そうすると、なんだかいびつな形でしか助けを求めることができなくなるのである。

たとえば、自分の一面的な訴えしかできない…たとえば、お腹が痛いですとか、パニック発作が起きましたとか、疲れてもう駄目です、とか。

 

 今回も通院が、なぜかはともかく崩壊して絶望したわけだけれど、取りも直さずここまで持ち直すことができたのは、今わたしの周りにいてくれる家族のおかげである。

 

 今までたぶん、崩れ落ちそうな自分を抑えて自分一人でなんとかやってきていたところがあったので、人に頼れと言われても一体何を頼ればいいのか、どのくらいのサイズで頼れば良いのか全くわからなかったのだと思う。

 鬱になるのはフィジカルにもメンタルにも本当に無力な状態であるので、かえってがんばって助けを求めるよりも、見るからに助けを求めることができるというか、ひとに助けてもらいやすかったかもしれないなと思う。

…そうして、幸いにして、夫や子供たちに助けられたので、日常生活については、ある程度の自立を手に入れたような気がする。

 

 今後、人との間にきちんとした境界は必須なのだと思う。

 これは治療構造のみに関わる問題ではない。

 こうした事柄は、赤ちゃんでない限りは市井の誰に対しても無限に援助を求めて耐えられるものはいないのである。

 

 だから、崩壊して消え去らない関係を手に入れる必要があり、それは配慮を持っていろんな人に関わりに行くということだろうと思う。

お互いに境界を侵さない(おかしすぎない)こと。

 

 人との間にある空気の球のようなものを潰さないこと。