いっとき避難場所

日々是好日

死にたいということは

辛いことがあったとき、

死にたいと思うことは当然であって

そういうのはわたしだけじゃないんだと思うようになってから、

死にたいことは辛いのだけれど、解決するような問題でもないかなと思えてきた。

現実的に辛いことがあったから死にたいのであって

それは病気かもしれないけど、理由がある絶望感はどうしようもないのであろう。

 

こないだ病院で薬をもらったらどうかと言われたんだけど、

(…わたしは二年以上通院したにもかかわらず、向精神薬眠剤も飲んだことないけど)、もし、薬飲んだら、元の職場に戻れてしかも仕事がうまくいって、育児も家庭も円満になるんだろうか。

ならないだろう。

そんなの一気にかなうわけはないし、そもそも不可逆なわけだから無理だ。

そういう絶望感を精神科がなんとかしてくれるわけではない。

 

来週に来るまで自殺しないという契約はある意味意味があるかもしれないけど、それが一番大きいんじゃないかなと思う。

ただ通院するということは、たすかろう、よくなろうという意思の表れだから、そういう意味ではある程度宣言することに意味があるんじゃないかなと思う。

 

死ぬか死なないかどちらかである。

降りるか降りないか。

他人には全く関係がないとまでは言えないけれど(子供とか家族とか)、死なないなら1ミリでも進むしかないらしい。

もはや全てが、自暴自棄ではないが破れかぶれである。

 

わたしはあんまり壮絶なのは嫌いである。

悲しいものは悲しいし死にたいものは死にたい。

死ぬに死ねなくて仕方ないから頑張っているのであって、頑張りたくて頑張っているわけでは全くない。

 

人生なんて無い方が楽に決まってる。

…そう思ったら小さいことも楽しいでしょうという人もいるが、

そんな馬鹿な。

それは一方向にしか流れない。