いっとき避難場所

日々是好日

きれいになおす

落ち着いた時点で、やはり何が起きたのかということを整理しておくことは必要なんだと思う。

混乱している状況では難しかったと思うけれど、人生に何が起きたのかわからないブラックホールみたいな穴があるのは、よくはない。

 

見通しは、たぶん、今まで中途半端に解離したり我慢したりしてやり過ごしてきた不安が爆発したところこうなったが、

今度はきちんと抜け出す方法を見つけたからそれで良い、ということになると思うのだけれど。

 

 

慢性的に不安だったり空虚だったりするのは、ここ数年のことで、

それまでは不安はあったが空虚な感じというのはなかった。

 

会社は辞めるときにひどい攻撃をして辞めたけど、そのせいで後からひどい鬱になった。

社会的にコンプライアンスに反しなくても、認められないような行為だから。

最初の治療は全くあっていなかったが、

その後、ここ数年のわたしは、

大変だった。

 

でもよくよく考えたら、

会社での扱いだってそんなに良いものではなくて、自分はいつもあんな風に扱われたくないと本当の本当は思っていたのに、自分が悪いからだと思いながら(そうして離人症で自分自身でそうした行為を選択しながら)過ごしてきたのだ。

 

ミスをして責められたとする。

責められたのは自分がミスをしたから当然の結果だ、わたしはもともとがダメな人間なのだから仕方がないというループを繰り返すのが会社にいた間のわたしの考え方で、ずうっと辛かったのなけれど、

そうじゃなくて、自分はそうありたくないなら、ミスをしないように集中する、努力をするというのが正しいのだと思う。

 

不安のコントロールをどうするのかということだ。

 

…そう考えるようになったのは去年の9月からだけど、とりあえずやるべきことをやるとか生活に集中している以上はいまは安定しているので、不安定さは限局的になってきた。

 

 

不安とか恐怖に勝てなくて、

自分を責めつつ解離してしまうのが解離性障害(離人症とか)で、

恐怖を他者に投影してしまうのがBPDなのかなあと思うけど、

両方とも逃げすぎるのである。

家庭のなかで選択肢がない中で狭窄するからそういう癖がついてしまったりするのかもしれないけれど、大概症状が出ているときには、現実的に現在、そんなひどい状況にはない。

 

本当は世の中はもう少し広いし、どんな人でも少しづつ他人に分けられる部分があるのである。

 

そうしておそらく、

そこからなんとかして良くなるのは、わたしだけじゃないのである。