いっとき避難場所

日々是好日

学ぶこと

学ぶことは、学んだ事柄が役に立つかどうかもあるけれど、

何かを学ぶこと自体を身につける経験でもある

一生、なにかしら学んで適応していかなければいけないようになっているから、どのように学ぶのか、適応していくのかということ自体を学ぶ必要があるのだ。

それで、人の経験の一つとして何かを学ぶということをいろんな場面でしてみたいと思う。

 

ひとから学ぶ、ことをほぼやらないで生きてきてしまったから、それを身につけることがまず必要だ

思春期の十年近く引きこもるということは、そういった、人が集団の中で生きるために必要な振る舞いを学ぶ機会を持たなかったということになるらしい。

ちなみにその間何をしていたかというと、ずっと親の愚痴を聞いていた。

 

会社に入ったときも、あなたはいつも自己流だと言われたし、大学でも似たようなことを言われたのだけれど、わたしはなんでそういう風に言われるのかわからず、辛かった。

結局のところ、コミュニケーションの不在なのだと思う。

(=言われたことをわかったというふうに伝えることができていない)

 

でも、今ならなんとなくわかる。

具体的な指示には具体的に行動すればいいのに、変な関数をかけてしまうから訳がわからないことになる。

自己流と言われるということは、結果的にはできている部分があるから、ということになるのだけれど、

ひとからみれば、おそらく関数をかませた結果、値が違いすぎるから自己流、ということになってしまったのかなとは思う。

(=教えたことに対してやってることが違う)

 

自分としては頑張っているつもりだし結果を出しているつもりなのに、

教えた人はがっかりして、人間関係も悪化していく。

頑張って結果は出しているつもりだけれど、特性的に、早くて量は異常にこなすけど、ミスもあるから、新人のうちにひどく信用をなくした。

自分がどういうふうに生きていて、周りと何が乖離しているのかわかってもいなかった。

 

 

たぶん、わたしはやはり人格障害に近い何かだったのだと思う。DIDとBPDの境目くらいの感じとか。(最初の病院で悪化する前の状態では診断基準は満たさないんだろうけど)

ただ比較的、自省的というか自罰的だったから他人との問題がいじめという形以外では起こりにくかっただけで、やはり無理をして生きてきていたということ自体は否定し難い。

 

歪んだ人生を送ってきた故に自分は今後も病気であるという考え方から抜け出せるという意味では、この二年間は得がたいのだけれど。

 

自分の問題が未解決であるということは仕事をしている十年以上の間ずっと自覚的だった。

故に、感覚というよりもむしろ手続きというものを重視するようになったのだけれど、自身の生き延びてきた能力はともかく、精神的な健全さを信じることはできなかったので、

謙虚でありはしたけれど、自信もなかったと思う。

 

それがどうかな

いまは、健全な人とは健全な振る舞いをする人のことだと考えるし、

人に学ぶということもその一つだと思う。

(学べないことを責める人というのは、これができない人がどれだけ苦しんでるかわからないのだろうし、第一迷惑なので仕方ないけれど、一応本人にも相応の苦痛はあるのだ)

 

何か目の前にあることに集中している時と、ものを書いている時と、その間だけは生きながらあることができる気がするけれど

1日の半分以上は絶望していて死にたいと思っている。