いっとき避難場所

日々是好日

理解できない

自分の境遇をたとえば前の病院のせいにするとか、それは結局、まだわたしが依存的であるということを意味する

今回のことを人のせいではないというのはとても辛い

だけど、いつまでそんなこと言ってるの?

 

じゃあどうやって気持ちに落とし前をつけるのか。

 

何度考えても、最初の病院では一体何が起こったのか理解できない。

なんでそんなことになったのか、

原因を考えていては生活が崩れてしまって悪化するので、日常的にやるべきことはするというのはベストなのだと思う。

 

会社を辞めた時の自分の振る舞いを思い出すと落ち込む。

基本的に会社での人間関係は全くなくなったし、鬱もあるけれど、わたしからもどういう顔をして連絡すれば良いのかわからないので途絶えてしまった。

本当は連絡したいのならば連絡もしようけれど、どうしたらいいのか全くわからないし、現時点ではその辺りは動けないのである。

謝りたいけど 自分の健全性が低すぎて上手に謝れないし、いまは潜伏しておいた方が良い気がする。

 

それから、先生から犬だと言われた時の言われようのない気持ちも思い出すと落ち込む。

両方死にたくなる。

 

…たしかに、ずうっと落ち込みやすく自己評価が低かったり、コミュニケーションが不安定ではあったけれど、

突発的に怒るとか、人を振り回すとか、常識から外れたことをオフィシャルににはやらないとか、そういうのは一応わきまえて生きてきた。

頑張っても限界があるので、怒られて排斥されかけたということはたくさんあったけど自分からはあまりやらなかった。

 

…病院は、転移があったとしても、医者が変だったから利益にならないということは最初から重々承知しているので、

そういう社会性の抜けたスポットに落ち込んでしまうというのは一体何が原因なのだろう。

権威的なものに依存しやすい性格があるからじゃないのか。

 

そもそも最初はのんびりしていた。

カウンセリングが進むにつれて希死念慮が出て、パニック発作離人症が悪化した。

何が怖かったんだろう?

 

日常がどんどん失われていくのが怖かった。

カウンセリングで話すことによって、自分が自分でないものになっていくような感じだった。

カウンセリングで話す自分は、本当の自分ではない。わかりやすいように脚色された、感情が抜けた事実のみのわたしだ。

起こった事実を話すとカウンセラーはわたしの像を作り上げていく

わたしは大変な現実を頑張って生き延びてきた人間になって、たまたまパワハラにあったけど基本的には力がある人だというふうに思う

 

確かにわたしの中には両方があった。ひとからは、わたしがどんなに大変だったかなんてわからないから、単に非常識な人間にしか見えないだろうけれど、自分としては努力して積み上げてきたから頑張ったのだ、という意識と、

それでもうまくできないことが多いし、自分には人として何か欠陥があると思い込んでいるから落ち込んでいる、という意識と。

カウンセリングはその、陽の面だけ強調する。

逆に劣等感や恐怖心を抱えている部分を見えないようにしていく。

単純に言えば、頑張りすぎて疲れてるのに頑張ってきた自分を評価されている状態だ。

 

もはや、その当時の自分がどういう人間であったか思い出すことが難しいのだが

 

欠陥があるという意識は相当根が深くて

今回の件以降はとくに、

人格障害だから病院にかかるべきじゃないとか 

社会において普通に働いていくことはできないとか、

況や対人的な仕事はできないだろうとか、

 

…なんの根拠もない思い込みなのだが

ひとからそのように言われて排斥されることが怖くて自分からその状況を避けるのである。

 

人格障害なら病院にかかるべきじゃないはそもそもおかしいし。

正しくは前の病院で起きた事柄が(少なくともどっちかの)人格に問題があるために引き起こされていて、そのためにわたしがひとから排斥されたということだ。

対策としては事柄を引き起こさないようにふるまうということ

 

衝動的なものを暴発させる権利なんて医者だろうが患者だろうがオフィシャルな関係の中ではないのだ

絶対的な力の差か、甘えが許される場所でなければありえない。

つまり子供が大人に対して暴れるのは大人が力があるからであって、大人が子供に対して暴れるのは子供が弱いからだ。

(少なくともわたしは病院で暴れてはいない)

 

 

 

 

よく言われるみたいに生きるも死ぬも一人なのだ。