いっとき避難場所

日々是好日

離人症は治した方がいい

考えたけど

離人症を治さなくて良いというのはやっぱちがうか。

それがどれだけ苦痛だったか、わたしが忘れてしまったのだ。

 

離人症の原因になってたことはたぶん、

子供の頃自分が怖かったり、納得できなくてパニックになっていたことを

直面しないで経過したということだと思う

本当は、いじめられることも、痴漢も、母の無関心も、傷ついたし嫌だったのである。

 

でも、それを言葉に表して良いことにはなっていないから、

恐怖感だけ残って何事もなかったかのように生活しなければならなかった。

 

なにかしら嫌なことや不安があった時に

なかったふりをするというのはやっぱり良くない

最初はそんなことは気にしなくても良い、気にしちゃダメだ、と思うのが、

だんだん気にならないようになりたいと思うようになり、

気にならないと信じるようになる。

 

そんなことなかったはずだと言われているうちに、本当にそんなことあったとしてみんな同じだから傷ついたりするのはおかしいと思うようになる。

傷つけられるのが普通だと思うようになるけど

そんなの嫌なのだ。

 

 

恐怖や不安は現象としては本当にあるもの、だ。

なかったふりはできない。

解決しなくてもいいけど、きちんと直面しないといけないものだ。

 

アルバイトも、ようはそういう風に扱われたくなかったものを

ずっと言えなくて謝り続けていたりニコニコしたりしていたから最後にああなったのである

どうして、嫌だということに気がつかなかったのかというと

少なくとも転移か愛かはともかくとして

そういう、概念の下に行われる行為だからだ

わたしは嫌だとか傷ついたとか思うことを、愛情の名の下に我慢して感謝しなければいけない環境で生きてきた。

あそこで言えば、リハビリだとか助け合いだとかそういうふうに言われて、自分も先生に役に立つことならなんでもやろうと思っていたので(わたしの家族の構造と同じだ)壊れるまで押し殺したのだ。

 

 嫌なことが尽きないのは、世の中は当たり前だし、我慢しなきゃいけないこともあるのだけれど、みんながみんな同じように我慢させられているわけではないのである。

 神経症は、みんな大変なのだということになるけど、

 ヒステリーは逆で、あなただって人間なんだから、そんなことは嫌でしょうし、あったら大変なのだ、ということになるかもしれない。

大変だと思って良いのである。

 

そんなの当たり前だと思ったら、搾取と愛との区別がつけられないから、何度でもそういうことを繰り返す

自分を侵害するものから身を守ることができないのである

 

でも、本当はそんな人生嫌なのである。

そうして、神経症だろうが離人症だろうが、ストレスにちゃんと対応できていない、ということだけなのだ。