いっとき避難場所

日々是好日

子供の頃の夢

なんだってそんなに勉強したいとか色々思うのかなとか

そこまで自分のことを追い詰める必要ないんじゃないのとか考えていて

 

一体何がやりたいのかなと考えた

まず一つは洋裁なのだ。

子供の頃に母方の祖母から習いはじめたもので、これは間違いないし、今ちゃんと努力しているしでいいと思う。

だいたいこれを、思い切りやらなければ結局人生後悔するであろう。

 

 でも、

子供のころ、小学校から中学校の、パニック発作を起こしたり文字が読めなくなったりする前のわたしの夢というのは、地球の研究をすることと、蘭科植物の研究をすることだった。

…蘭科植物が好きだったのは、父方の祖母の影響だ。園芸が非常に好きだったひとで、庭で多種の植物を育てていて、植物の本もいっぱいあったからだと思う。

 小学校の頃、いじめにあっていたのだけれど、父方の祖母の家がわたしの精神的な逃げ場だった。

 弟が受験だったので、わたしは鍵っ子だったのだけれど、母はいつもわたしの鍵を置き忘れていて、家に帰ると鍵が閉まって入れないことが多かったので、その頃近くに住んでいた父方の祖母の家によく行ったのだ。

 わたしはなぜか東洋蘭が好きであって、庭の奥に生えていた緑の東洋蘭に非常に愛着があった。鷺草も好きだったので祖母が頑張ってくださったのだけれどこれはうまく咲かなかった。

 祖母が亡くなった後すごい数の本が残されたのだけれど、父がその中から、漢詩全集と全20巻ほどある重厚な園芸図鑑だけを捨てずにとっておいたらしい。

 漢詩全集はわたしも読んだけど李賀以外は全部母に捨てられてしまった。

 李長吉が好きだったのはわたしが泉鏡花が好きだからなんだけど、それはわたしの植物好きとはあんまり関係がないか。

 …ちなみにその後、園芸図鑑も捨てられてしまったのだけれど、引きこもっていた中学生の間、文字が読める間はわたしはその園芸図鑑をよく読んでいた。図書館から、光合成の仕組みとかのいろんな本を借りてきて読んだ。

 一応鉢植えもいくつかやってみたけれどなかなか咲かなくて諦めた。

 鉢植えも東洋蘭は求めにくくてしかも、結構高いのだ。

 とりあえず蘭科植物、あと菌(これは蘭科植物に関係して興味を持ったのだと思う)に関する興味はずうっと尾を引いていて、のちの発酵趣味につながった。

 あと地学なのだけれどそれは、やっぱり引きこもりの間に寺田寅彦がものすごく好きで読んでいたからだと思う。いまだに好きで、去年離人症が大概治ってからまた文書が頭に入ってくるようになったので良く読む。

 子供の頃はまだ存命されていた祖父の兄弟が寅彦の研究室にいた人で、物理の研究者だったのも興味を強く持った誘因の一つかもしれないけれど、とにかくこの人の書いたものが大好きだった。

 混んでいる電車に乗る人は遅れるとか、非常に楽しかった。

 あと俳諧連句に関する文章が非常に面白くて、なんども読んだ。

 奥の細道は暗記するくらい読んだ。でも今何だかんだ古文が苦手なのは、松尾芭蕉とかわたしが好きだった古文の人はほぼ江戸以降だからだと思う。逆に江戸以降だから勉強しなくても読めたんだと思うけど…。

 

 …どうでもいい話だけど一昨年そんな話を診察室でしていたら先生が冬彦の一文を朗読してくれたのを思い出した。

 …わたしはその時はとても感じ入ったのだけれど、よくよく考えてみたら、そういう先生は残念である。

 わたしの憧れを、あともう一歩のところでスカッと潰していくのである。

 

もし状況が俳諧連句であったなら、そもそもこんな状況にはなっていないだろうから、あの場で読まれたものは万葉集なのかもしれない。

それはそれとして。

 

 わたしは自分の憧れを求めるのなら、自分がそこに到達すべく努力するべきだという結論に達したのだ、が。

 …半ば思い出になったな。

 けど、なにしろ、 要は勉強することがその頃から非常に好きであったのに、わたしは十年近く昼夜逆転して、学校にもいかず部活も友達もなく、母親の愚痴を聞くことと喧嘩をすること、弟の勉強をみることと、夜中に本を読むことくらいしかせずに十代の半ばまで過ごしたことを割と辛く思い返している。

そこでパニック発作離人症を起こして、高校中退して、転げ落ちるように日々を過ごしていたと思う。

もう嫌だと思うまで。

 

 うちはそれでも、早慶以下だと使い物にならないと言われるような家だったので、それが非常苦しいながら、大学に行かなきゃと思った。

 それでも、大検を取った後に服飾の専門学校に行きたいと言ったら反対されて普通の大学に行けと言われた。

 それで、大学を受験する時に、 それでもやるならどこかで地学か植物をやりたいなという気持ちがあったけど、そんな状況だし何よりろくすっぽ勉強の努力もできないし頭は悪いしで、当然のように志望大学は落ちた。

なによりも 努力をする習慣自体なかったのである。

 c判だろうとなんだろうと、受かるとは思えず、落ちるだろうと思っていた。

 そうして、やりたいことも特にないし、親の関係で早慶は入りたくないしで、微妙にずれたところに行った。でもそれは早慶に行くよりは良かったと思うけど。

 

年齢的に子供の頃の夢のように、今更研究者になるというのは色々大変なのであれだが、勤勉でありたいという気持ちくらいはなんとかなるのではなかろうか。

本当は高校も入りたいのである。文化祭というものを一回も経験していないので、文化祭も体育祭もやりたいけど、人生こればかりは逃してしまうと取り返しがつかない(通信制とかあるけど)から。

 

 結局わたしがやりたいことというのは、失った思春期から青年期のやり直しなのであろう。

 

家を出たのが20歳で、その後は一応年齢に応じた平均的な義務を果たすことが、幸いながらできてきたと思う。

紆余曲折あったけれど、家庭を持って、子供もいてというのが、まるで奇蹟のようである。

 

それでも、年齢に応じた義務を果たしながら、自分の人生と折り合いをつけていくということが必要であって、

今更だけど家庭のためにもきちんと仕事はしながら(パートになっちゃったけど)、死ぬまで何事かやらないとなと思う。

 

洋裁というのはすごく良い。

わたしは洋裁する人というのがすごく好きだ。