いっとき避難場所

日々是好日

あらゆる先輩、先生というもの

先輩や先生との関係について。

そう言う間柄に限らず、全ての人間関係においてそうだと思うけど。

 

この先輩や先生の言ってることはたまにおかしいけれど、概ねよく考えて言ってくれてるなとか、

そうはいっても乱暴すぎて聞くに耐えないとか、

それでもさすが経験に基づいてのことだなとか、

耳に痛いことを言うけれども一面では確かにそうだとか、

…一人の人に対していろんなときにそういう風に思うのはたぶん正常だ。

疑いながらも信用し、それに応じた行動が返ってくる。

 

全ての人にうまい面とまずい面がある。

自分だってそうだけど百パーセント間違いがないなんてことはない。

親としても、大人としてもそうだ。

 

それが、

先生はわたしと全く違うことを言う、何故ならわたしが間違っているからだとか、わたしが正常ではないからだとか、わたしに価値がないからだとか、そんな風に思うとしたらそれはだいぶおかしい。

挙げ句の果てに先生の言っていることはおかしいが、もう従う以外にどうにもならないという風になるとしたら、それはもう服従の状態であって、だいぶんおかしい。

 

たぶん、もっとも病識がない状態だとしても、先生がおかしいくらいに言うのが人の苦痛に応じた普通であって、

人が自分の心を守るあり様として、わたしみたいに自分を全否定になったのはおかしい。