いっとき避難場所

人間万事塞翁が馬

カバットジン

カバットジンのインタビューのビデオ

http://www.supersoul.tv/tag/jon-kabat

 

わたしはあんまりヒアリングが得意ではないけど、ここでいうmeditationというのは(頭を真っ白にする)いわゆるオーソドックスな仏教的な座禅のことを指すのかな。わたしが行った近くの禅寺がいう、雑念を切って捨てろというような。

ヨガとかでもmeditationはあるような気がするし、野口整体でも座禅みたいなことをした気がするけど。ポカーンとさせろというのは野口整体だったかしら。

 

wikiをみると、カバットジンは禅の学校で勉強した人だそうだ

韓国に近年まで、高名な禅マスター(禅僧)がいて、その人に師事したと書いてある

その、禅センターなるもののホームページはある

https://kwanumzen.org

アジアだと、支局みたいなのが韓国と香港にあるらしいが、ちなみに日本にはない。

 

カバットジンのビデオだと、meditationとマインドフルネスの違いのようなものも述べられてる。

マインドフルネスとはawarenessだという

頭を真っ白にして座って修行するのではなくても大丈夫ということみたい。

これはちゃんと本読まないとわからないけど、今この瞬間の自分の心への気づきのようなものを指しているのかなと思う。

森田正馬の本の中にも、出家僧みたいに座禅を組んで修行するようなそんなことは在家は難しいし、求める自己実現の方向とも異なってきてしまうから、森田療法においてはかくかくしかじかの方法を取る、というようなことが述べられていたかと思う

 禅的な修行は現実的な方向を離れているというのをこの間どっかでも読んだけど

わたしは違うと思う

十牛図にもあるように、どうしてもそうせざるを得ない人がそうした場合、必ずしも非現実的な方向に結実するとは限らないんじゃないのかなとぼんやり思う。

文化的な背景もあるだろうけれど、たぶん神経症になりやすい上にこじらせる人が多い民族なのではなかろうか…。

神経症が治るかどうかというのは、人によって神経症の症状とか複雑さが違う上に治ったという意識の敏感さも違うのだろうから

治った認定が出来る人はたぶん少ない

でもひどい神経症にかかった人にとっちゃ、それを治すことはまさに死活問題だから、ありとあらゆるもがく手段が残されているのだと思う

近代的な医学がなぜそれを、新しい病気の発見みたいにいったかわからない(無意識の発見?)けれど、誰がどうみてもこんなものは太古の昔からみんな困ってきたことで、

禅もそのためにあるようなところがある。

 

神経症の治療って神経症の人の神経症の人に対するぐるぐる説法じゃんて昔思ったけど

なんかそれでいいのかもってそうも思う。

 

とはいえ、そうすると、わたしが最近一日30分やってる(訓練している)のは限りなく瞑想(参禅した時に教わったもの)なんだなと思う。

それでも一向に構わないわけなんだけど。

 

一日30分なんてものは無駄にぐるぐる考えてる時間の長さに比べれば屁のようなものである。