いっとき避難場所

人間万事塞翁が馬

真面目さ

わたしは真面目なんだろうか、とふと思う

仕事をしてた時からそうだった

 

昨日、英語の勉強してたときに、こんな例文があった。

 

"アメリカ人は質問に真摯に答える、そして自分のした質問についても真摯に答えてもらっていると疑わない"

 

わたしは仕事をしてた時からお客さんにたいしてはいつも真面目だった

そして自分が患者をしてた時もいつも真面目に接してもらっていると思っていた

 

それだけのことかな。

 

いまは辞めちゃったけど

仕事は好きだったし、面白かった。

それは真面目に取り組んだだけの結果を(感情的に)対価をもらっていたからで、これがもし、毎日クレームだったら嫌になると思う。

 

…単なる仕事のはずが、お客さんからだいぶ助けられてたんだ、というのは自分の親が倒れたときに気づいた。

父が倒れてICUの前で泣いてたときに、その日の午前中に何度もお礼を言いながら帰っていったおばあちゃんの背中が突然脳裏に蘇ったのだ。

 

それからわたしはお客さんにずっと感謝していた。今もそうかな。

一人だけ自殺に近い死に方をさせてしまったことがあり、トラウマになってしばらく夢に出た。

 

とはいえ、基本的に他人が何をできるわけではない

無理なものは無理である

所詮、全てはいつか死んでいく人に対する弔いの仕事のひとつだ。

誠実さだけがものをいう。

自分の仕事は自分に対する弔いだし。

 

できることをしたかどうかとか、自分の感覚の及ぶところ(なんかいつもと違う)に気がつくかどうかとかそういうことだけ

わたしは気になる。