いっとき避難場所

遊びをせんとや生まれけむ

思い出す

そういえば

私いつからこのブログを書いてたんだろうかと思って振り返ったら、

一番最初の記事が2018年1月だった。

あの時が最悪だったから、このブログは基本的には良くなってきてる私のブログかなと思う。

とはいえ、

最初の先生のとこの病院にかかったのが2016年の10月だったから、あれから5年か。

 

私の5年間ていうのはいったいなんだったのだろうかと思う。

 

だって、なんでもないのである

器質的になにか、頭を強く打ったとかじゃないし

強い薬を出されていたとかでもない

 

それなのにどうやったらこんなになるのか

精神科にかからなければこんなことにはならなかったのか

こんなことというのは、自分が病気だとかなんだとか考えて思考の迷路にはまり込むこと

気分的に死にたくなり視野狭窄に陥ること

 

…いやしかし

べつに、育児は多少不安の影響を受けて不安定だったと思うけど

少なくとも生活的には問題はない

…やるべきことはなんとかかんとかこなしていたけど

"やりたいこと"まで意識が上がらなくなってしまっていた。

雑談は結構早いうちからできるようになってたけど

集中力が戻るのに相当な時間がかかった

今本を読んでるけどたぶん、学生時代ほどには集中できてないなと思う

しかしとにかく読まなければ、読めるようにならないだろう。

なりたいようになるように努力する。

 

ベックの鬱尺度のテストを久しぶりにやる

3点

 

2018年の初期はたしか40点だった。

それから18点になって、何処かで正常値になった。

いまはほんと、鬱ではないなと思う。

 

…たぶん、当時はほんとに気分障害だったんだろう。

少なくとも気分の障害はあったんだろう。

 

しかし、5年前の状況を思い出すと

躁状態って言ってもいい気がする

病院に行くためになぜかマッキントッシュのコートを買っていて、なんだっけ、もう忘れちゃったけど変なブランドのカバンとか買っていた

今はもう普段使いにしてしまった

値段に関わらず

それまで大して高いものなど買わないのに不思議な。

ちょっとした心理の勉強会みたいなのも行ったけど、職場の行き詰まりをそれでなんとか解決できないかと考えていた

今考えれば空想的な話だが、ただ、かといってそこまで現実離れしてるわけではないが

現実にはそれどころではなく全てが崩壊していった

…その件を自己嫌悪するというよりも何もかもに耐えきれず、崩壊している感じではあったな

そして怒りが渦巻いていた

怒りを捻り潰すように先生が嗤っていた

 

だから思い出すと恥ずかしい。

その時、

自分がリアルに生きていた現実から離れてわからなくなってしまっていたことが恥ずかしい。

その時Twitterをやっていてリアルな友人もいたけれどその時にほとんどの関係が途絶えてしまった

特に専門職の友人。

ママ友は残ってくれていたけれど。

 

どんなに苦しくても、人間関係は投げてはいけない

 

そう思う。

 

いずれ切れてしまった人間関係の幾ばくかを補修していくことになるだろう

生きているうちに。

 

5年前にはそんなこともありました、と言えるまでに

3年かかったということだ。

 

 

自分があたまが些かおかしいときに自分はおかしいって言ってもおかしくないっていっても

なんの役にも立たないだろうな

色眼鏡をかけて世界を見てこれは白だと言っても実際はそうではないとか

そんなもん

 

しかし

サリヴァンの本にあったが

病者が言っている言葉になんの意味もないというのは馬鹿げていて

孤島の民族の言ってることが兜町のサラリーマンに理解できないとかなんとか、そんなことは孤島の人々からすれば余計なお世話でしかない。

 

そうだろうな。

だから私のブログもそうした孤島の民族のちょっとした記録だ。

 

そういうものと分かっていたとしても

孤島の民族にものを考えるなとか書くなとか言ったところでどうしようもない。

 

問題があるとすれば、苦しんでいたということだろうかと思う。

うなされる

昨日の晩珍しくうなされて起きた

高い塔から高い塔によじ登りながら移動していて、やっと目的地に着いたらそっちじゃない、と。

落ちたら命がないようなところで、イメージとしては木登りの枝から枝まで移動してる感じだ。

 

またか。ここまで来たのにまたか、と思いながら移動して、安全な場所にダイブしたところで目が覚めた。

ダイブしてそこについたのかどうかはわからないがそこは塔じゃなくて少し開いたところ。

 

今朝もなんとなく不安に苛まれている。

 

珍しい。

過去になるとは

どういうことかなと思う

ひどいことがあると世の中というのはイメージが大きく歪んでしまって、今まで平和だった世界が突然、地獄に変わる。

地獄だったことに改めて気づくだけかもしれないけど。

 

それがまた、安全な世界に戻ってきて、

起こったことを思い出しても再受傷しないことかなと思う

 

学校のいじめのこととかやめた会社のパワハラのこととかはもう過去のことになった

大したことじゃないわけじゃないにしろ

そんなこともありましたね…の範疇だ

思い出せば多少暗い気持ちにはなるけど過去のことだ。

 

ただこれも、丁寧に掘り返して新しいストーリー付けをすれば

多分また生々しく蘇る可能性はあるんだろうかとは思うけど。

だから言語化できてることか。

 

最初の病院の出来事も

割と過去になった

ただ、話せないことというのが辛いな。

話せないというのはなかなか重たいんだけど

少なくとも自分が心療内科の患者だったからまともに話を聞いてはもらえないだろうという気持ちはだいぶん減った

 

相対化できるようになったのかもしれないな。

 

"緑のまちづくり学" 進士五十八

緑が、人や社会にとってどれだけ大事かどうかを述べていて、人や社会との関わりについて

問題提起とともにこれまでの経緯や、ありたい姿について述べている。

読みやすい。ざざっと読んだ感じ。

 

鉢植えをペットとしての緑、整備された森林などを家畜しての緑、そのほかを野生の緑というふうに述べているのが面白いなと思った。

うちの樹木は大きなペットだなと思う

今年梅が7-8個なったけど。

 

日比谷公園の歴史は興味深い

児童指導員(いわゆるプレイリーダー)の先駆けのようなひとが配置されていた

自然遊びのようなことをしたらしい

"東京の空間人類学"でも書かれてたけど、日本の江戸は西洋都市と違って地形を生かして共存して作られていく

公園とかプレイパークについても多分そうで

こないだ読んだ"新しい遊び場"、では、西洋の出てくる公園の多くはだだっ広い広場に工作のできる広場をつくってそこに建築物をたくさん立てていくんだけど(柵を作って)

地形を生かした遊びを日本の方がするのかなと思ってみたりする(単なる想像だけど)

 

遊び場を作る地域住民は、公園ボランティアでもあるのか。なるほど。

起伏が小さくなる

安定してくるということは

感情の起伏の振幅が小さくなっていくことかなと思う

 

人が生きているといろんなイベントがあって

例えば生理の周期もあれば一週間の周期もあるし

人に会うとかそういうのもある

 

いろんな波が打ち消しあって、かりに何か不定期なものでがっと上がったり落ちたりしても、日常に起きる波の中で打ち消しあってすぐに消えるか緩やかになる

 

そういうことかなと思う

"新しい遊び場" アービッド・ベンソン

素晴らしい本だが

いかんせん古い。(昭和49年)

内容はいつでも新しいというか、未だにこのレベルに遊ばせられる遊び場は日本にあるのだろうかという気はするけれど(どっちかというと幼稚園とかの方がそういうのをやるんだろうけど学童になると一気に減る)

しかし、本来は古い遊び場であるべきはずの冒険遊び場の本。

TVゲームとかタブレットとかそういう電子機器による遊びは当然この時にはないし、YouTubeもない時代。

 

この時代の本を読んでいても

思いついた子供が店をやるとか

60メーターの高さの塔を作ったとか

やはり地域の周囲の高齢者に対するボランティア活動を開始するとかいろいろ、地域と切り離せないところがある。

あとやはり攻撃性とか子供同士のターゲット行動に対する毅然とした対応とか、ルールとか

児童指導員にはちゃんと根拠があるのよね

その辺よく知りたい。

 

インターネット上の被害とか世の中いろいろあるのだが

こないだ読んだべてるの家の本でもそうだけど、毎日合うコミュニティの中で人が癒やされていくことは大事だと思う。

問題はそのコミュニティの中ですら犯罪が頻発する(それはなぜか)場合があるからだと思うけど

その場合はどうしたらいいんだろうな。

"すべての子どもに遊びを" みーんなの公園プロジェクト

遊び場というよりもいろんな遊具のカタログのようなもの。

車椅子で入れる遊具が興味深かった。

日本でこれに類するものって見たことないなと思う。

 

 

回る遊具があと、あんまり見ない。

遠心力かかるから危険だと思われるのかな。

さすがにブランコは撤去されないけど

私のいた小学校にあったぶら下がって回る遊具も、危険だということで撤去されてしまった。