いっとき避難場所

建設的ってどういうこと?

あと40年

あるんだなあと思う

 

人生が憂い者は神様が向こう側に連れて行ってくれるから大丈夫だと中村天風が書いていた

ふふ そうであるならそうであってもいいかなと思う。

そんなことはお任せしてかまえばいいわけか。

あの世こそは良いところだと思えばそうなるのかしらん

 

孤立して一人でいると

月が恐ろしく美しく見えたりする

ああいう時の心が切れるような気持ちはなんだろうなと思う

人生が憂いわけではなく

人生から自分が切り離されてるみたいに感じたのだ

 

今はそうでもなくて

ひどく雑多な味がする

月がまるで、白っぽいハムみたいな感じ

手を伸ばせば届きそうに思う

 

単にそれだけだけれど

 

あと40年か。

あと数年で私は40代も半ばになるのか。

 

今日は少し悲しいことがあったので

暫し悲しんで

そうして流してしまった。

やればできるな… 自己暗示というか、流してしまうことってできるのだ。

辛いことは思い切り悲しんでそうして忘れてしまえばいいのだけれどまた、辛いことが来ると思う必要もないのである。

 

悟りというのは

大丈夫ってことだ。たぶん。

 

あと残るのは、どういうふうにありたいかっていうことだけ

自分が動かせるものは限られているから

そこをどうおきたいかということだけなんだろう。

なんでもないこと

…わたしには

宇宙霊がどうとかいうはなしは、にわかには理解しがたい

だけど、それはそれでいいのかなと思う。

わからんもんはわからん。

しかし何か自分が自分以外のものに導かれているという感覚は小さい頃はあったので

たぶんそういうものを持ち続ける人がたくさんいるということだろう

 

一方で積極的に… は良くわかるし、

ネガティブなことは言わない考えない、も経験的にわかる

(考えても人生変わらないからね…)

 

瞑想もわかる。

寝るあいだに疲れるようなこと考えるなとか、笑ってしまうくらいおっしゃる通りだと思う

 

ただ、

あくまで普通に…

極端なことはせず、考えない、がいいかなと思う

 

何かしらに心が盲信するような状況が

あまり今は好きでないように思う

 

それにしても、寝る前に余計なこと考えるなというのは

あまりにその通りだと思って昨日から実行している。

 

だいたい疑うよりも信じた方が楽である

そうして、信じて騙されたものは幸せであるというけれど

うーん、そんなに幸せではないわけだから

信じることのできたものだけを信じるべきであると思う

 

それにしても、

余計なこと考えるなは

真理だ。ほんとそう思う。

不安の話

おおよそ

不安ほどひどく人を引き摺り回すものはないなと思う

おそらく、私をここまでの状況にしたのは不安で、

人は考えた通りになる、ではないが、

もうダメだと思えばもうダメになるのである。

 

まあ

でも現実としてはそこまでダメではないのである

もともと持っていたものがえらく遠く見えたとしても

いつでも途上なのである。

 

 

私は第一子を産んで家で育て始めて、復帰した…あたりまでは割と幸せであった。

第二子を妊娠したのもよかったのだが

その出産数月前あたりから雲行きが怪しかったなと思う

 

弟が事故で死んだ

そして子供が発達障害ではないかと言われた。

 

事故で死んだのはどうしようもないが

病気があったので同じ病気に誰かがかかりゃしないかとものすごく心配になった。

そこにきて発達障害だから小学校に行ったら大変なことになると保育園は言う。

 

…ああそうですか、と言ってしまえればいいのだけれど、たまたま心が弱っていたと言うのもあるかもしれないけど

どんどん不安になったのだと思う。

子供については、みんなが障害がどうとかいう。

心配していればなおのことそういうわけだが、

親が潰れてしまってはあまり意味がないので、状況を考えて言っても良かっただろうと思うが。

 

人の心を食いつぶすのは不安である

不安があってこそ成立する防災もあるかもしれないけれど、考えても仕方がないことは考えない

 

それに尽きる

世界は牢獄ではない

世の中は苦痛をリュックにたくさん詰め込んで喘ぎながらの道中かと

 

そんなふうに考えていたことに気がついた

いつのまにかそんなふうに思っていたなと思う

 

何時頃からか

弟が死んだ頃からかな

 

いやもともとそういう性分だったのが

弟が死んだりいろいろあったから極まったんだろうと思う

 

ともあれ私は苦痛の鎖に繋がれた牢獄たる世界にいるわけではない

 

 

とにかくそれだけは、間違いない。

 

第一そんな抽象的な牢獄が世の中にあるわけもないから。

 

楽しそうな話

今日の面接で聞いた話はひたすら楽しそうだった。

 

昼休みは中村天風を読んでいた。

 

ああ、そうか、と思う

 

そもそも論だけど

まあ数百年前まで中世だったことを考えれば

科学もパラダイムの一つでしかない

 

科学が唯一の真実かどうかにかかわらず

少なくとも、

人間が生きていくのに現代風の科学が必須ではないのは間違い無い

90年生きるのか、幸せかどうかは生き方による

と言われればその通りで

 

飛び越えると国境を越える川の一つをわかりやすく示している、という風に読めた

 

物の見方の軸が一つ増えるのかもしれない

人の心というのは不思議にできているから

一見両立し得ないような考え方も矛盾に悩まされないで心の中に並立する

 

 

 

中村天風の本

野口晴哉森田正馬をよく読んでいるのだけれど、

昨日、ひとに勧められた森田正馬第5巻、7巻をAmazonで調べていたら、中村天風という人の本が出てきて、

ふと頼んだのが今日来た。

 

読んでいて楽しい気分になる言葉が多くていい

大変な人生を歩んだ方らしく、破天荒な経歴なのだけれど、自在に生きられたみたいで、言葉が伸び伸びしていて、気持ち良い

 

森田も、野口も、共通なことを言っているように思うのだけれど

それぞれ"誰にいうか""どう言うか"が多少違っているように思う

 

言葉は直感に流れる

自分が受け入れているものが現実の自分の姿を表しているのだろうと思う

 

科学的とかそうではないなんてことは

大した問題ではない

 

ここ数日、昼休みは鈴木大拙を読んでたけど

明日はこれを読んでいようかなと思う