いっとき避難場所

人間万事塞翁が馬

無意識の作用

どうしようもない。

 

失敗し続けるとか、ミスし続けるとか、不思議なことをしてしまうけど、仕方ない。

きちんと調べればわかることを、なんでそんな間違ったこととか意味不明なことをしたのかとか、全くわからない。

もはや、そんなことでグズグズしていることを望んでいないことを自覚し、山や森の中に一人で踏み込めばそこに何か面白いものがあるような気がしてきたにもかかわらずだ。

世界には自分の言葉とか理性でコントロールのできないような、そんな深淵があるんだろうか?。

あるいは、何か行動を起こす時にもっとよく熟考してから成さなかったことのよくない報いなのか。

世の中そんなにクリアで明るくて美しいものだけではないのだ。

 所詮、生身であるというのはそういうことかもしれないし、欲望を無価値化したところで仕方ない。

 

 

  自分の思考を、自分に向けて、簡単な言葉で切り捨てるのは簡単だけど、気持ちをきちんと表す言葉は誠意をもって探さなければいけない。自分のためにそれをやる。

もしかしたら、そういうことがずっと出来ていないというのが、わたしの幼稚さの所以かもしれないなあとも思う。

 

そのような人生ではなく、もう少しないのかと思って、自力で進路変更して選んで生きてきたものは、結局自分の望むものに反しているとしたなら、自分の考えても見ないような自分の行動については、愚かしいわとか思って苦かろうがすっぱかろうが諦めて受け入れるしかない。

 

そういう、表面のゴタゴタを取り去ったところにあるような気がする静謐の、

それこそ "死んだ後にそう振る舞うであろうように振る舞うわたし" が本来のわたしなら(そういう風にいつでも私を見ているわたしというのは、何者なんだろう)、結局現世のごたごたに時間を使う暇があれば、いつでもそこに立ち返って見るのが良いのだ。

 とはいえ、あるものはある。

死ぬまで鉄板の上で踊るしかないし、

毎日苦しいばかりでもない。

 

要は、できることしかできないのである。

やったことが、出来たことなのだ。