いっとき避難場所

人間万事塞翁が馬

コールハースと理不尽な世界

 すごく理不尽だと思われる目にあったとして

倫理的に正しい裁きを下す場所が組織の中にあったとしても、その罰というのは倫理的に正しい範囲内のものでしかない。

 

 溜飲が下がりましたか?。

 

という程度。

会社を辞めた時に、コンプライアンス通報をして思った。

…やって見て思ったけど、失ったものは所詮戻らないし、もしかしたら多少はあったかもしれない、居場所も全て失うわけだ。まあ、本当にあるなら失ってはいないかもしれないし、そもそも居場所があったら、そこまでになるまでに誰かが救っている可能性が高いとは思う。

 

 とはいえ。わたしは退職を決めてからコンプライアンス通報したが、どうせ失うなら、やらないよりはやった方が理解できることもある。

でも、そこまで正気を逸すると、結果的には心機一転巻き直しだ。

 

 

 クライストの"ミヒャエル・コールハースの運命" という小説があって、わたしは昔からこれが大好きなんだけど、倫理も正義も押し通したら行動が極悪なことになってしまう。

 権力者の理不尽な気まぐれで妻を失った馬喰が、復讐の鬼になる話なのだが、

ニュースでも、世界でよく見る、そういうの。

 

  ただ、極悪な行動を行ったものの正義について切迫して考えたのはコールハースの方で、

コールハースの妻を死に追いやったものはおそらくそんなことは真剣には考えていない。

真剣に考えずに、弱いものを踏みにじった、というだけで、まさかそこまでのことになるとは思わなかった、というのが昔も今もおそらくよくあることなのだと思う。

 クライストの書く話は、小説や戯曲でなければこんな極端なことは起こりえないだろうという筋書きではあるけれど、その端緒から生ずるifが読むだにおそろしい。

 ビルに飛行機が突っ込むとか、現実も恐ろしいのだが。

 

そういえば "チリの地震"なんかも、ものすごく呆れるくらい極端な話だったな。

 

   …世の中に生きているひとはみな、そんなに極端ではない。たぶん中途半端にいい人も中途半端に悪い人も、コールハースみたいな極端さには走れない。

 

 中庸というのは知恵だと思う。

百姓は生かさず殺さずというのもまた、知恵だと思う。

勧善懲悪とかいうけど、悪いことをしたからひどい目に合うというよりも、他人に恨みを抱かせた故にひどい目にあったということもあるだろう。

 

 さらに、たぶん多くの人が持ってる機能というか、力として、人が痛いと感じている時に同様に痛いと感じてしまうところがあるわけだから、あんまり極端なことをするのは自分にもストレスになるような気はする。

 

 でも、そういう力が大きい人の方が生きるのはやっぱり不利になるのかな。

人に、共感とかそういう機能が備わっているのはどうしてだろう。

それにもかかわらずなぜに、同族の中で生命の危険もないときにでも潰し合うのか。

種っていうのは保存の優先順でしかないのかしらと思ってしまう。

 

世界の安定を考えると、綺麗事を守って中庸を守るというのは悪いことではないんじゃないかと思う。