いっとき避難場所

人間万事塞翁が馬

仕事を選ぶこと

もうやめたから言える話。

 

 自分がそこまで健全であるわけでもないけど、まったく関係ない学部を出たくせに、福祉の仕事を選んでしまったのは、

理由の一つに、誰によっても見捨てられたものを救いたい、という気持ちがあったからかもしれない。

と、いうのも、 それはわたし自身のことだからだったと思う。

 私は、ちゃんとした仕事を得て、ちゃんとした資格を得たあとも、最初は、私自身を救いたかったのだ。強迫的に。

 

だから、たぶん、私のお客さんが、私よりも良い収入を得て行った時とか、自活して行った時は、私は嬉しかった。

 

 

 たぶん気持ちの悪い話だとは思うけど、自分は誰によっても救われなかった、みたいな、割合とそういう自覚で若い頃生きていた。

つまり、私立小学校にいた時に不登校になってからの八年間、家庭にはいないもの、社会にはみっともなくて出せないひとみたいな形で、生きていたと思う。

 その間、中学校の先生が訪問してきたり、精神科に親が一度連れて行ったり、どこか中学受験をさせようとしたりしたけど、わたしはなんの網にも引っかからなかった。高校の先生も頻繁に連絡をくれたりしたけれど、どこにも引っかからなかった。

 親には話せなかったけれど、引きこもり中は完全なメンタルで、パニック発作等の行為があって、ひどく悩まされていた。

  勉強だけはそこそこできて、小中高の学校にはまったく行かなかったけど、大学は早慶くらいまでは受かった。

 今思えば、大事なことはそんなことではない、のだけれど、それすらできなかったならもっと大変なことになってはいただろうと思う。

 

  母は、お前は人を馬鹿にして学校に行かない、そんな女は嫌われる、と言っていた。

 

 …わたしは辛いっていう話をする前に、馬鹿にしてるわけじゃないとかしなきゃいけなかったし、それでも納得しないで話し続けるお母さんの話を、まるでカウンセラーみたいに聞き続けていた。お母さん大変だったんだね、ごめんなさいね、みたいな。

 

大学を出て、会社にみんなが就職していくころ、私は大学生で、いると精神症状が出るから家を出て、プログラマのバイトで自活していたけど、実家に帰るとパニック発作が再発するし、自分が友達のようなちゃんとした会社に就職するというのがまったく想像つかなかった。

 それでも、わたしは潰れていなかった、というか、すこし雑ではあるけれどちゃんとした大学生としての行動を行なっていたから、まあまあやっていけた。

 

 大学を出る前に、某先生とちょっとトラブって、あなたの経歴を見たが、あなたみたいに好き勝手に生きてきたひとは、これから生きていけません!って言われた。

 …経緯は色々あったけど、たしかにそうだとパニックになって、それまで志していた進学も、なにもかもなげうって、

 経済的に困っている人のホスピスみたいな場所でのヘルパーの仕事にアルバイトで入って生活するようになった。

 状況としては今と似ているかもしれないなと思う。

 

  その後きちんと就職したけど、そういう仕事をすることが結果的に自分に向いていない仕事だ(とはいえ、安定企業だったし、経済レベルとか技術的な興味とか、そういうことは安定したから悪いことばかりではなかったから…)、と病院で言われるとうーん…て思った。

 十年も経てば、当初のそんな思いのようなものはだいぶ緩和して、人を救うのは思いではなくて根本的には根拠のある現実的な行為だと思うようになるし、限界もある中の手続き的なものだと考えるから、人並みにできるようになる代わりに、もはや、普通の仕事でしかない。

 …そうして、育児負担でコケて、カウンセリングで過去を掘り出したことでメンタルが再発して、

なんだか今は、こんな中年の歳になって、まったく自分が社会生活をしていける自信もない。

 

 ゼロからやり直すとしたら、わたしはなにをやるんだろうなって思う。