いっとき避難場所

人間万事塞翁が馬

そこを抜ける

そのようなものにそもそも興味があるのかと言われれば、ない。

 

いい年をして中学生みたいな悩みを抱いて悶々としている場合ではない。

そのような苦痛が、どうにかできるものでもない。

世界には、自分の力で変えていけるものと、変えていけないものがある。

 

前向きな動機があるなら目標に向かって邁進すべきだし、

自分の能力とできること、やりたいことを天秤にかけ判断する時間は、青少年ではないわけだから有限である。

賽は投げられたのか?

投げられたからここにいるわけでしょうな。

 

鬱という名前で強制的なリセットがかかったのは致し方ないことだが、

理由がある以上、何故そうなったのか理由に照らして考えるべきだ

と、いうのも、理由があるということは、基本的には無意識的には適応に向けて動いた(やりかたが正しいかどうかはともかく)

ということだから、たぶん、必ず理があるはずじゃないのかしらとおもうのだ。

 

何故に四方八方に矛盾するように理性というのが邪魔するのかよくわからないが、

わたしは言葉が苦手(話も半分だし、記憶に残った言葉と、相手の顔色を見て会話してることがほとんど)ので、

行動がわたしの最終的な意図だったということになるんじゃないかしらんと思ったりもする。