いっとき避難場所

人間万事塞翁が馬

できないことに あわてない

思い出しても破綻しない回復具合で

思い出しては消化していくように人の心ができているのだろうか

解決したり消化したりしなければいけない事柄というのはすごく多いのだが、自分の心ですら一気に解決するというのは難しい

記憶が想起された時に気分や感情が激しく揺れないようになるまでにはだいぶ時間がかかるみたいだ。

 

昨日は子供の懇談会があって、馬鹿みたいに疲れた。

幼稚園の先生は優秀な人で、よく察してくれるひとだ。

しばらく休んで子育てが落ち着いた頃に何かやるのがいいわね、という。

社会的に人とつながることとか、活動することに価値を見出す発言を聞いてちょっとホッとした。

そういう考え方だって世の中あるのよ、たしかに、そういう風に考える自由があるのよ。

 

何でもかんでも諦めろとかいうんじゃなくて、周りの人と支え合いがちゃんと成立してれば動ける部分だってあるのよ。

 

 とはいえ、わたしは実際派手に潰れており、社会生活もママをするのがやっとであって、しばらくは休まざるを得ないと思う。

いろいろ大変なことがあって思い出すたびに気分が荒れる。少しずつ消えるけど。

子供が暴れたりすると、

あなたが手がかかったせいでママは仕事を辞めたりする羽目になった、とかつい言ってしまうこともあるので、それを聞いた夫が、お前の言葉は虐待だという。(それをいうならあなたもそもそもモラハラだと思うのだが。)

 

 

実際完全に休むということは、母親である以上難しく、思い出すたびに悪化する状況で、良くなっていくのか悪くなっていくのか、正直見通しというものが立てられない

ただ、"自然に思い出せる範囲で"思い出して、書く、ひとしきり荒れた後に眠る、というプロセスを繰り返すと、だいぶ落ち着いてくるのはたしかみたいだ。

 

カウンセリングはわざわざ話すことで病気になる気がしたけど、実際の生活というのは、社会的な事柄に興味を持ったり、人と関わりを持ったり、働いたりということと、内向的な思考が混ざり合っているものだ。

恋愛中ですらそうだ。

好きな人のことを考える時間があり、仕事のことに夢中になる時間があり、趣味をする時間があり、…というかたちで時間が進む。

だから、ある程度の浮き沈みがあるのはふつうで、思い出すとブルーになるというのは感情の処理上あってもいいことだと思う。

 

一年近く、療養に専念せよというかたちで、今更もう解離により忘れていた自分の過去の出来事と、転移感情についてだけ考え、育児も仕事もおざなりで寝込むような生活だったが、やはりわたしには合わなかったし、過去の出来事なんて無理やり忘れてもいいから継続可能な範囲でぼちぼち生活を続けたいのである。

 

とにかくしかし無理であろう

今日子供に、

"ママはもうおばあちゃんになるだけなの?"と言われた。

女の子なので、どう答えたらいいかなと思ったけど、"そうねえ"としかいえなかった。

 

いつになったら人生が終わるかな。

そう思う。

 

…わたしはこの数年、ずっと怯えていたのである。そのことにさっき気がついた。