いっとき避難場所

人間万事塞翁が馬

あったこととなかったこと

事実と感情をわけて考えた方がいいんだろうな

事実はあれやこれやあり、

自分が感情的に傷ついたことはおそらく半分くらいは自分の心が作り出している妄想みたいなものだ。妄想だ、と言い切っていいかわかんないけど、人の気持ちを考えすぎて想像して生活がうまくいってないなら、ほぼ妄想に近いんだろう。

 

今週は、ぶわっと、カウンセリングの間に起きたことが心の中に湧き出てきていて、あとは病院で起きたこともフラッシュバックみたいな感じで蘇ってきて、怖い。

 なにが怖いのか。

 自分がなんの病気なのかというその間の自問自答がずっと苦痛で怖かった、かな。

 カウンセリング受けてる間、昔のことを話すとどんどん、自分がおかしくなっていく気がした。

 もともと自分が何者なのかというのがわたしは怖いのだ。

もともと、十代の頃に起こしていたパニック発作の内容は、"発狂する"、というものだ。

 カウンセリングで再発したけど、病院にかかったことで、発狂したら保護室にでも入れて貰えばいいやと思うと、すらっとパニック発作が治るのは不思議だった。(クリニックだから保護室ないけど…。)

 発狂しても大丈夫、と思ったんだと思う。

 

 いじめとか虐待とか、陽転、パニック発作発達障害、解離性同一障害じゃないけどそれまでずっと忘れて生きてきたようなことがぶわっと表に出てきて、それまでなんとか社会生活を保持していた自分が崩れて、本当は病んでいるのにようよう生きてきた自分がぐちゃぐちゃになる気がした。

 でも、いじめとか虐待とか、自分が話すことと自分の感情とが全然結びつかないのである。

 転移してる医師に話すこととカウンセラーに話すことでは、意味合いが違うからなのかもしれないが。

 話せば話すだけ他人の話をしているみたいになってしまって、ひとしきり話すと陽転が一息つくけどそれだけなのだ。

 

  本当はわたしはひどい精神病だったり発達障害だったりで、会社で働くなんてことはできないのに、無理をして生きてきたからもうそんなことはやめなさいと言われているような気がした。たぶん、今もそう思っているから辛いのだ。

 

そういうふうに言われたわけではないけれど。

 

だいいち、まずもってそれが妄想だといえば妄想だ。

実際そう言われたわけではない。

そう、周りの人(病院のひと)が思っていると感じて、怯えてどんどん自分が病気なんじゃないかと思い続けたのかもしれない。

"かもしれない" としかいえないけど、世の中そういうもんだろう。

 

 妄想の病気なんじゃないかとかカウンセラーに何度か話したけど、そもそもなんの根拠も合理性もない。解離?が進んで自分の中で誰かと話す状態になってきたときに、とうとうわたしはさらに他の病気なんじゃないかと思って、もうダメだと思ったのだ。

 

 いや、事実妄想の病気でだめなのかもしれない。

だめなのかもしれないけど、とりあえず社会生活がいとなめてる以上、警察に捕縛されるまでは普通に生きてるしかないのかなと思ったりもして、その話もしたけど、カウンセリングというのは結局、話しっぱなしなのでどうにもならないのだった。

 

  発狂するとはどういうことなのだろう?。

 今でこそ発狂したひとを知っている仕事だけれど、たぶん、発狂する発狂する、自分はおかしいかもしれない、と思ってぐるぐる回ってなにもできなくなるというのは、自分が恐れてる発狂とはちょっと違う気がする。

"それから"の代助がちょっと近い気がする。

 

自分ではわかんないけど、たぶん。

 

ちなみに、一年半かかって、病名は何度か聞いたけど、教えてもらえなかった。