いっとき避難場所

人間万事塞翁が馬

あなたのために

わたしはあなたのためにという言い方が嫌いだ。

 

"あなたのためにいってるのよ。後で後悔してもわたしは知らないわよ。"

 

そういうやつ。

 

それで嫌なことが仮に続いたとしても、例えばお母さんはわたしのためにいってくれてるんだから、いまは悪くてもじきになんとかなる、わたしが従わないのは良くないことだ、と考えるようになる。

 最悪の状態になったとしても、お母さんはわたしのためにいってくれているんだから、わたしがどうなろうとももうどうでもいい、反抗はしない、という気持ちになる、気がする。

 

…母については、30手前位で生きようが死のうがどちらでも構わないと考えるようになったので、そこまでもう気に病まないのだが、たまにまだイラッとしたり喧嘩になることはある。

 でも、二十歳で家を出て経済的に自立してからは、いつでも出ていけるしと思っていた。

 親への怒りはもはや大したことないし、父は大学出してくれたことに感謝していると子供を産んだ時に伝えた。

 いつまでも親のことばかり考えていても仕方ないのだ。

 ちゃんと母の日にカーネーションは毎年贈ってるけど。

 

 カウンセリングもたぶん同じだ

 昔のことばかり掘り返せば、親への怒りも再燃し、自分の自信もなくなる。

 

 医師のアドバイスは自分のためにいってくれていることだと思うから、いつまでたっても依存が切れない。

 ほんとにそうならそのうちわかる。今わからなくても問題ないのではなかろうか。

 …なんでそう思うかというと、子供を育てていて子供に良かれかしといろいろ試みるが、あとからしかそれはわからないことだと思うから。

 大概は自分の不安の裏返しだと思っているから、子供のためといったことはない。

 良いかなと考えながらやっている、といったことはある。

 

ひとのために何かをするというのはどういうことなんだろうな。

 

わたしは援助職だったけど、じぶんの職業的には、

きちんとしたやり方(なんていうか標準的なやり方)をわきまえて、

倫理的に間違いない態度を少なくとも表面上はキープする、キープできなくなるような関わり方をしない。

最低限の健康を保持する。

つまりいまはわたしは復職できない。

言ってることとじぶんの考えたことができるだけ矛盾しないようにする(伝わって、トラブルにならないように)。態度と言葉が矛盾しないようにする、か。

その上で、いろいろためしてはみたけど。

 

あなたのために、とは言ったことないな。

 

でも、子育てにしたって、仕事にしたって、

思うほど上手にできてはいない、ということもありうるわな。

全然ダメって思ったら辛いけど、できてないとこに気がついてない、ということはきっとあるだろう。