いっとき避難場所

人間万事塞翁が馬

結局のところ嗜癖とは

目の前の苦痛に対する(あやまった)対策。

こだわりもそう、それにより反射的に意識をそらす。

失われた(得られない)愛着の代わりであって、それは人生のパターンの繰り返しであって、さらに、解離の代わりだ

 愛着は実際問題、性愛だけではないというか、むしろ、主に違うものを求めてるのはわたしの中では明らかだったから、そっちに傾倒するのはおかしいのだ。

 

 解離が悪いのではなく、状況になんでもかんでも解離で対応することが不利というかよくないのであって、解決できるものはできるだけ現実的に対応して、それでも無理なものは、火事場の馬鹿力じゃないけど誰でも解離するらしいから問題にはならないと思う。

不利な解離は、火事が起きている家の中で

"心頭滅却すれば火もまた涼し…"

と唱えているようなもので、焼け死ぬと思われる。そのほかのやり方はないのか?。

 

 

だけど根本的に、

"この問題を解決する"という方向性というか腹のくくりが治療者とわたしの間でなければ、こうなるもんなんだと思う。

なんだってかんだって病的な状況では誰も嬉しくないし不名誉だ。

 

嗜癖が辛いんじゃなくて

なんの状況がそもそも辛いのかを考える

辛い状況を自ら作り出すのは何故なのか

 社会の中では、それはおかしいという人がいたり、注意してくれる人もいたり、いろんな刺激が働くから、そこまで変な転移にハマることは少ない気がする。

密室状態だと苦痛も逃避も極端に出る。

 

自分として考えるとすれば、

そのプロセスは改善できることなのか

言語化して論理的に改善できるものなら掘り起こせるものなのか

それでも無理なら、無害な嗜癖だとか無害なこだわりによりかえって耐性が上がるとか社会適応が上がるものを考える

わたしのトレーニング?。

なぜならうつ状態だとアサーションが進まない。

 

苦痛それ自体を問題としてあげることができるようになることがまず第一で、アサーションの問題

認知行動療法の講習を昔受けたけど、

解離とか嗜癖とかは、変なことを言われるとか過労であるとかの前に、"嫌なかんじ"を避けることができないということで、

言語化される前に反射が深すぎて一人で解決は難しそう。難しそうだけど100回気をつければ一回くらい気がつくかもしれない。

 

対策を現実的にねることができるかは苦痛を言語化できれば、そこまで難しくはないし人の助力を得やすいと思う

 

慢性的にうつであるのは、かしいだ土台の上に生きているようなかんじ。

 

身体性とか運動で疲れて心地よい感じというのは、ちゃんと地面に根が降りている感じがする。

手芸もそう、ちゃんとイメージしたものが出来上がると嬉しい(それは元気な時に技術の訓練もしてたからだけど)。

 

しかも、それらは一人でできることでもある。