いっとき避難場所

人間万事塞翁が馬

自らを虐げるものを愛する

結局は、わたしがそうだからこうなったんだろうな。

他人にそういうふうに仕向けるのだ。

わたしが愛するものに、わたしを虐げさせるとか、わたしに近づこうとする人に、わたしを虐げさせるとか。

たぶんわたしの生育歴からくるものだ。

 

正しいやり方は…

と言い始めたらきりがない

 

マゾヒストじゃないと思う。だってマゾヒストというのは求めているものを与えられるから喜ぶわけでしょ。

わたしは違うし、虐げられて嬉しくないわけだからちがうわな。

(間違いなく わたしは凄まじく病気であった)

 

 

わたしは逃げることはできるけど、

より良い生き方や自分を大事にするという動機はまだ弱い。

 

 

わたしは、死にたいのか。生きたいのか。

 

今回ちょっと死にかけたと思う。

 

そうでないふうな人間関係のパターンを

乏しい経験の中から探す

そのように行動してもらえないかを

すり合わせる

難しい。

強烈な愛着が、嗜虐的な行為と結びついているからそれなしの愛着が信じられない

でもそもそも、そんなのまともな愛ではない

愛ではないっていうか、生産性のかけらもなく耐えらんないわな

弟は死んでしまった。

過失ではないし母は自らをそういう意味では責めていない。

わたしの行為の極限は、たぶん、悲惨な死であって、到底幸せではないのだ。

 

獲得して、人と繋がり、安心に暮らす。

 

かろうじて自分の行為として 実感がなくても、それかなと思うところはある

 

 

祖父母は完全ではないけれど、一つの解を与えてくれたとは思う。

あと、高校の友達もすこしそういうヒントを与えてくれたと思う。

 

 先生はわたしの父であって母であって、

少しだけ祖父だった。

 

 

先生自身にどうかんがえても問題はあったんだろうけど

今更そんなことはどうでも良い

この出来事はおそらくこれまで、わたしが繰り返してきたことの極端なカリカチュアなのだ。

 

わたしが、今後もこんなことを繰り返したいのか、繰り返したくないのか

繰り返したくないならどうしたいのか

 

答えを自分で見つけられないなら相応の援助者を探すべきだし

そうでないなら頑張って考え抜くべきだ。

 

1秒考えることは

1秒生きようとしたこと。